遠浅

平野明

あの転校生

親の転勤、転勤、転勤で、別れのあいさつと初めましてのあいさつなどお手のものだ。県内の移動ではあるものの、漁港から山へ、田舎から町へ、南から北へと、転園しまたは転校し、どこにも根付くことなく、ただ出会いだけを増やして大人になった。幼なじみはいない。どこの方言も話せない。あの甘いティッシュを食べるのが好きな白い犬だけが気がかりだ。まだ生きてるのかな。黒板に自分の名前を書く。
いつか転校生じゃなくなるのだと思っていた。ところが転校生はずっと転校生の続きをしている。文系から理系へ、ボートから美術へ、デザインからファインへ、街から街へ、朝から夜へ、次の街へ。『え、バックパッカーなの?』と人は聞く。いやバックパッカーじゃないし、好きでしてるわけじゃないしと、やや内気な言い方をしてしまう。そして翌日、宿を出る。
転校生のいいところは、どこでも入っていけることだ。(つまりそれはどこにも入れないということなんだ。)きのう駅の改札で仲良くなったドカタのおっちゃん。シャーマンのひとみさんからかかってくる電話。村上龍の古本を買ったら「おれもハルキより好き。また会いましょう」と握らされた番号。小学生にギターコードを教える時間。レイヴの痕跡を二人で見にいく。夜の3時、つぶれたキャバクラの女の子をおぶってタクシーを拾う。窓が冷たい。流れる街灯を一人でみる。
“踊るのは、悲しいからだ。”は、友人越しの友人が言った言葉。

去年は3回、今年は4回引っ越しをした。もうこうなっては、誰でもいい人になりたいと願うばかりだ。須賀敦子が夫に宛てた手紙と、似たようなことを思う。『……ペッピーノ、私にはなぜ、友人たちが言うように、自分の人生を決めつけなければならないのか、何者かにならなければいけないのか、わかりません。私は小さく誰でもない人間になりたい、大したことなく、大きなことを言わない人間に。それは私が望んでないからではないのかもしれません。私にはそれが、自分が生きるためのたった一つのあり方のように思えるのです。(昭和35年4月14日)』

わかる人にだけわかればいいとか思わない。いろんな言語があることを知っている。それがアルコールなら、踊りなら、温泉なら、歌うことなら、それでわたしは話すから。あなたが少し笑った時、あなたが幼稚園生だった頃を想像する。ひらがなの名前が縫われたチューリップのワッペンを想像する。その時あたしたちは仲良くなれただろうか。高校だったらどうだったろうか。苗字順に並んだ机、あなたの苗字は『y』からはじまるからきっと窓際の一番後ろの席で、窓ばかり見てるあなたにぎりぎり手紙を回せたかも。あなたが笑うとき、一瞬幼いあなたが顔を出すようで、あたしはいつも嬉しい。きっと、もっといろんな人と話ができる。転校生の魂は想像する。