遠浅

平野明

欠けについて

f:id:hiramydays199:20230319202334j:image(春だわ)

 

欠けたお皿が目の前にある。だけどそれがほんとうに欠けているのかは分からない。そうだよね?

言葉あそびではなく、大抵のものは全て、欠けるの状態で満ち、満ちるの状態で欠けている。満ちるに向かって欠けていくのではなく、欠けるに向かって満ちていくのでもなく、三日月は三日月という形で満ちており、満月は満月という形で欠けている。あたりまえだよね?

一見ネガティヴな行動にもポジティヴな意図が折り込まれている。むしろ行動は自分のポジティヴな部分でしか招くことができない。それがどんなに最悪な行動だろうと、自分を嫌いになるスイッチだろうと、命はしあわせを願っている。出力の違いがあるだけで、それは絶対変わらない。

お笑いでもドラマでも、「おもろい」とはつまりどれだけ一緒にわたしたちのふつうを見つけられたかに尽きる。作り手と観客が一緒にふつうを見る。そのふつうからちょっと落とされた時に少し笑える。またふつうに登る。また落ちる。またふつうを歩く。また落とされる。少し笑える。その歩いては落ちての蛇行。蛇行そのものが、わたしたちのふつうだったと気づいたとき、今度は少し泣けるかもしれない。まあこの話はどうでもいいんだけど。さて、「落ちる」が「落ちる」になる瞬間はどこでしょう? 答え。ふつうを作ったそのときです。

行動は行動でしかない。ネガティヴはいつも言い訳(後付け)だ。ふつうから落っこちた君は自分を責める。だけどそのふつうは何も普通じゃない(=イカれてる)とわたしは思う。出所不明の道徳がふつうなら君は間違いなく落ちこぼれだ。自分を大事にできない君はばかだ。もっと身体を大事にしなさい。自分に優しくしなさい。できない君は狂ってる。

自分に厳しい君は欠けている。だけどその状態のまま満ちていることをわたしは知っている。そりゃ身体を大事にして欲しいとは思う。君のことが大事だから。

なんでそんなことするの? って聞いたってなんの意味もない。黙って部屋に引き返すこと間違いなし。行動の根っこは、ぎりぎり生きてるポジティヴな意思だ。意思は行動に出力される。君は君なりの最善で出力する。それは間違いだと言われることもある。間違いだと言われることの方が多かったかもしれない。

だけどどうか。その出力を責めないで。どんな形でも責めないで。泣かないで。泣いてもいいけど。責めないで。責めてもいいけど。忘れないで。行動はいつも君を延命させるためだけにある。命は死ぬまで君を肯定する。

行動を嗜癖にしないために必要なこと。それは開き直りだ。今のところそれしか思いつかない。煙草なんてばかばか吸えばいいじゃん。ご飯なんてもりもり食べればいいじゃん。ぐだぐだ言う彼氏とは別れちゃおうよ。手首切ったあと「あ〜スッキリ」って言う君に会いたい。

自己否定(生)と理想(死)の永遠の綱引き。命が描く線(生)と出会いの拒否という点(死)の永遠の殴り合い。だけど戦いはいつか終わる。絶対終わる。両者試合放棄という形で終わることをここに書いておく。約束する。君は新しい踊りをはじめる。

だいじょうぶ。約束する。いつか終わる。絶対終わる。ほんとうに、いつかぜんぶ終わる。