フローベルのボヴァリー夫人おもしろい!むさぼり読んだ!前置きがやや長いが、下巻からはもう止まらない。夫人と若い愛人との悲喜こもごも? という予想は外れ、物語はより過酷な方へ。最後まで読んだいま、2人がヨンヴィルへ越したのが悲劇の始まりだったと思う。
エンマ・ボヴァリーの不倫生活を支える旦那のシャルルに終始気を取られた。素朴な医者だけどボーッとしてて浮気も浮気と思わない鈍感さが痛すぎる。しかし、旦那がよく気がつく男だと物語が破綻するので、筆者によるシャルル生殺しを読者は見守るしかない。浮気は家庭がないとできないから。旅は旅立つ家がないとできないから。
エンマ(ボヴァリー夫人)はいつも旅に出たい。旅先にいても旅がしたい。つまらないここを出ていきたい。だけど旅先に着くと必ずエンマはがっかりする。到着した旅先のホテルのボロさ、旅路の馬車の座りごこちは現実的で、うれしかったのは旅の計画だけだった。ひと通り味わい尽くしてしまうとなにもかも日常じみて見える。ここではない場所が恋しくなる。だから駆け落ちという旅をロドルフにご破算にされたときエンマは本当に悲しかった。旅を望んでいるのは自分だけだった。立ち直った彼女はまた旅の予定を立てる。彼女の目はきらきらしてる。
この時代で、女が女であるまま人生の主導権を握っていくには恋しかない。女と男は違う。仕事もない自分の金もない恋の可能性もない女は、仕事があって浮気も黙認される男とはやっぱり違う。エンマは野生の嗅覚で恋に賭けた。失敗に終わった賭けだったけど、その端々にわたしを見つけた。共感した。
下巻はエンマとルウルウによる怖い金の貸し借りのシーンがある。不倫なり借金なり、誰にも話せないことが増えると人間は破滅する。ボヴァリー夫人と愛人2人の組み合わせはジュリアン・バーンズのここだけの話の下敷きに思われたが、あれも最後は金の話だった。
会話も良く、描写も鮮明で、後半はページを破る勢いで読んだ。夜の庭の逢瀬のシーンや、街のお祭り、脚の手術など、火照ったり痛かったりで体をくねらせながら読んだ。よく書かれているだけに好きになれる人物は誰もいなかったが、悪魔のような金貸しや、強欲な薬屋、乳母、恋人たち、シャルル(ああシャルル!)、 誰ひとり忘れられない。
最初の小説がこんなに傑作だったから今でも小説が読めると思うと筆者には感謝しかない。フローベルありがとう。勧めてくれたジュリアンもありがとう。