遠浅

平野明

マザータング

(夜のヤモリズ 撮影:ぱんだちゃん)

パワーサラダという食べものがある。ちぎった菜っぱに焼いた鶏肉やゆで卵などを混ぜた、その一皿でたんぱく質も炭水化物も取れるボリュームのあるサラダボウルのことだ。アボカドはもちろん、ゆでた豆もカマンベールチーズもキウイフルーツも具になる。入れようと思えばなんでも入れられる。パワーサラダは寛大なのだ。

日本語にはパワーサラダの素質がある。今年太宰治賞を受賞した市街地ギャオのメメントラブドールを読んでそう思った。アルファベットも特殊文字(♡)もひらがなのように縦書きにされていて、それを判読可能どころか小説として読めるのはすごいことだと思った。
わたしは日本語でしか本を読まないから偉そうなことはいえないけれど、国際空港のロビーみたいな言語のごた混ぜサラダになれるポテンシャルを日本語は秘めているのではないか。近代小説の歴史はまだ1世紀とちょっとだ。これからもたくさんの作家が、せっせと新しい具を見つけてはポストモダンなサラダ(という散文)を開発するだろう。なぜモダンな散文といわないかというと、散文の存在自体がポストモダンだからで、日本文学においてモダンなのは当然歌(特に俳句)だと思うから。

思い返せば、わたしは散文の書き方を誰かに教えてもらった記憶がない。義務教育は漢字の読み書きや原稿用紙の使い方を教えてくれたけれど、文章に良し悪しがあるとは教えてくれなかった。「わたし」から始めて「。」で終わる文章を書けはしたけれど、美しいかどうかは分からなかった。日本語話者なのだから誰でも文章は書ける、という了解が全体にあるのは、いま生きている人のほとんどが生まれたときから言文一致の世界にいるからなのだろう。しかし、誰にも教えられなかった散文をたくさんの人が読んだり書いたりしているのは、とてもふしぎなことだ。

今年の春、小泉八雲の「ある女の日記」を読んだ。ちくま文学の森シリーズの第15巻「とっておきの話」の中にそれは収録されていた。小泉八雲という作家は、出生名をラフカディオ・ハーンといって、アイルランドの生まれのひとだ。日本人の奥さんを持ち、19世紀後半からは日本国籍を取って、地方に散らばる民話や怪談を採取してまとめた。「ある女の日記」という作品は、明治28年の女性の日記を小泉八雲が英語に翻訳(翻訳は平井呈一)したものなのだが、これが衝撃的なうつくしさだった。日本語話者でありながら日本語に再会した心地だった。図書館で小泉八雲作品を取り寄せ、特に「天の川幻想」は気に入ったので買い直した。

和歌を現代日本語に訳し、それを英語に訳すという二重の翻訳を経て、わたしははじめて日本語の生理に気づいた。直感というべきか。日本語の底に流れるやまとことばの旋律と音のまるさは、目で読むより耳で聞くものだった。いままで読んでいた日本語はなんだったのかと思った。そもそも日本語ってなんなのか。平仮名や片仮名ってなんなのかとはじめて思った。まったくやる気のしなかった古典というジャンルの履修はこうやってぼちぼち始まったのである。

 

さかのぼること2000年前。そもそも日本語は文字を持っていなかった(!)。人々は大和言葉(やまとことば)という日本固有の言葉でおしゃべりしていた。5世紀ごろに、朝鮮半島や中国大陸から仏教や儒教を取り入れたときにはじめて漢字という文字が輸入された。日本人は大和言葉に漢字を当て字して、日本風に漢字を使うことにした。この当て字を万葉仮名といって、万葉仮名と漢字で編まれたのが「万葉集」である。

漢字だらけでは読みにくいので、万葉仮名を省略して、漢文の読み下しに使われるヲコト点のような記号にするひとが出てきた。不完全の意味で、漢字の一部を用いるところからこの記号は片仮名といった。また万葉仮名を全体的に崩して日常使いにしたのを平仮名という。片仮名は学問的・記号的傾向が強く、男性が使ったので男手と呼ばれた。平仮名は私的な意味が強く、女性が使ったので女手と呼ばれた。平安時代(794年〜1185年)に平仮名と片仮名の文字体系はだいたいできあがった。

(補足1:平仮名と片仮名の由来を調べると違う漢字が出てくるのは、「あ・ア」に当て字された漢字がいくつかあり、そのなかから選ばれたからである。)
(補足2:日本の表音文字のことを仮名(かな)というのは、万葉仮名も片仮名も平仮名も、あくまで漢字を基にしているからである。仮名に対して漢字のことは真名(まな)と呼ぶ。文字は大陸からの輸入品なのだ。)

19世紀後半に、書き言葉を話し言葉に近づける言文一致運動が起こる中(代表作は二葉亭四迷の「浮雲」1887)、仮名にも変化があった。明治33年(1900年)の小学校令施行規則で片仮名・平仮名は一音一句になり、48種の字体になった。1946年には現代仮名遣いが制定された。(1900年以降の学校教育で用いられていない平仮名の意字体のことを変体仮名と呼ぶ。)

 

こうしていまの現代日本語はできた。平安時代から19世紀末までの長さを思うと、現代仮名遣いの歴史はまだ浅いことがわかる。
漢字表記があるとつい漢字の意味に引っ張られてしまうけれど、日本語は当て字の文化なので、むしろ読みに意味があるというのはおもしろい。わたしの住んでいる地域は「かたせ」というのだけど、この「かた」は片腕のかたではなくて、新潟(にいがた)や干潟(ひがた)の「かた」らしい。確かに昔このあたりは湿地だったという。

読書行為が音読から黙読になっていく過程もあって、言葉は耳で聞くよりも目で読むものになったけれど、目を耳のようにさせる散文に出会えたらしあわせだと思う。日本語らしさについては富岡多恵子が「詩よ歌よ、さようなら」というエセーで存分に語っているので、気になる人はぜひ読んでほしい。