遠浅

平野明

ひとの話は聞いたほうがいい

わたしのパートナーと一緒に住むようになって感心したことのひとつに、レシピに忠実に料理をするというのがあります。
最初のころは、レシピの載っているパソコンの画面を見たり、計量スプーンを出したり閉まったりするのがなんとも律儀で面倒なことに思えました。お菓子作りと違って大雑把でいいのが料理だと思っていたし、わたしだってひとり暮らしを8年ぐらいしてきたからきんぴらごぼうもカレーも人参の白和えもソラで作れるのです。彼だって料理はいくらでもソラで作れるはずなのに、毎日必ず料理家のレシピをひっぱり出してはタイマーを回し、大さじ1をはかります。わたしは断言するけれど、彼がレシピ通りに作らなかった日は1日だってありません。
我が家の料理長はパートナーなので、いくら彼の調理上のポリシーを面倒に思っても、献立や買い物リストを作ってくれるのは大変ありがたいので文句はいいません。わたしはスーシェフ(助手)として台所に立ち、いわれるままにまな板で切ったり炒めたりします。砂糖大さじ3とレシピに書かれていたら大さじ3を、ひとりで作ったら絶対こんなに入れないだろうなーと思いながらも入れます。
パートナー御用達のレシピサイトは「みんなの今日の料理」と「dancyu」と「白ごはん.com」です。あとはGoogleの検索窓に食材名を入れておいしそうな画像からレシピを探していることもあります。「ヒガシマル」と「オレンジページ」のレシピも使うし、朝食に出てきたトーストの上のドレスみたいなオムレツはインスタのリールで見つけた焼き方らしいです。
レシピに従うことの意味を知ったのは、美味しくていい料理が作れる日が続いたときでした。料理家の名前を見ると大庭英子とあって、次の日作ったピカタも大庭英子さんのレシピでした。今まで料理家の名前を意識したことのなかったわたしにとってそれは驚きでした。青森から上京してはじめてキンモクセイの香りを認識したときのように、ぱーっと霧が晴れて、レシピの向こうに料理家が現れたのでした。ご飯を作って食べているだけだと思っていたけれど、いいえ、わたしは大庭さんの料理を作って食べていました。
レシピを探すということは、節約や冷凍庫整理のアイディアをいただくためにあるのではなくて、常に料理家を探す旅なのかもしれません。砂糖の量にびっくりしても、いったんそのひとの話を全部聞いて従ってみると、料理家にも個性があることが分かります。おもしろかった書物の作者の、他の著作も読んでみる「作者読み」のようなことを、料理でもできるようになったとき、ひとりの作家を見つけたときと同じ喜びがそこにあるのです。
最近作って美味しかったのは井原裕子さんの、じゃがいもと豚こまのカレークリーム煮でした。パルメザンチーズと牛乳を煮たら、なぜかココナッツの風味のするやさしいグリーンカレーになりました。わたしじゃ絶対思いつかない作り方だし、作ってる間も味が想像できなくておもしろかったです。ひとのいうことを聞くのって楽しいなーといまでは思います。


(たまにはおいらにも笹以外のものを食べさせておくれよ。)
(いいよまるてぃん。)