遠浅

平野明

Spontaneous/栗林隆「Roots」

Studio Installation(Venue3)

栗林隆の個展「Roots」(@神奈川県立近代美術館・葉山)に行ってきたよ。初日だったので、開会式やオープニングパーティがあったり、作品以外の楽しみもあった。

全体のことをいうと、この展示で作家初の図録が出版されたり、場所が葉山でタイトルが"Roots"だったりと、アーティストにとっての区切りが意識された、栗林隆のこれまでの活動30年間を振り返るレトロスペクティヴな展示となっていた。神奈川県立近代美術館はいま展示室が改装中で使えないので、作品はエントランスやロビーに展示されていて、その点々と配置された「本展だけの会場」に来場者が足を運ぶという形がけっこうおもしろかった。到着するまで会場の規模も知らず、美術館HPを見て勝手に想像を膨らませていたわたしは、今回の展示が過去の作品を揃えたコレクションだと思っていて(だって美術館HPの作品紹介の中に「Trees」があったんだもん/言い訳)、若干拍子抜けした部分もあったけれど、アーティストトークを聞けたり、逗子コミュニティや制作のまわりの人たち、特に友人のパーと話せたことで、キャプションではない部分からも展示やアーティストへの理解を深めることができて、とても満足だった。

寒空の下おこなわれた公開対談で、栗林隆は「アーティストというのは生き方だ」と宇多田ヒカルとまったく同じことを喋っていて、なんだか考えさせられてしまった。栗林隆はたしかにアーティストな生き方をしているけれど、アーティストだからアーティストのように生きることができているわけでも、アーティストになるためにこういう生き方を自分に強いているわけでもなく、目の前で起こることに素直にリアクションしていく過程がそのままアーティストと呼ばれているのだと思う。わたしが展示の中でもっとも感動したのは、3.11の原発事故後の福島へ何度も足を運んだ記録映像であるが、その中で栗林隆は無人の地に茂ったシダ植物の葉っぱを採取し、押し花のように加工し、サーフボードにレジンか何かで綺麗にくっつけて、福島の海岸でサーフィンしていた。防毒マスクにウェットスーツの栗林隆が、画面の左から右までさーっと流れていくのにはなんだか心を打つものがあった。

ちょー楽しかった、行ってよかったと帰宅すると、パートナーが「スポンテーニアス/spontaneous」という言葉を教えてくれた。自然発生する、現象が外の力によらずに自動的に起きる、波に乗るように自然に運ばれるというニュアンスの形容詞である。ああ!と膝を打った。栗林隆はスポンテーニアスだ、スポンテーニアスがとっても似合う。低緯度の熱帯の海面から自然に沸いてくる台風みたいなスポンテーニアス。日が昇ると太陽で温まった海面から風が湧き起こるように、自然にさせられていることに自覚的なひとは自然に対して自然でいられる。インスタレーションという自然をつくることができる。

Tanker Project-Barrels

opening party

余談:オープニングパーティを後にして、会場に居合わせた4人で晩ご飯を食べに行ったのだが、そのうちのひとり、大学からの友だちで、Rootsの展示も手伝っているパーの話がおもしろかったので書いておく。パーがある企業の展示ブースを制作していた時のこと。もうブースは完成しているけれど、個人的に装飾を加えたいところがあった。1日作業ができるつもりで現場入りすると、突然、あと数時間でブースの回収が来るという連絡がくる。半端に飾りがあるよりはない方がいいから、間に合わなかったら全撤去する覚悟で、昨日2人がかりで1日かかってやった作業をひとりでやりきったというらしい。感心した。そのときはそのとき、でもいまはそのときではないから絶対完成させたいという気持ちが性格の良さを表している。ブースの回収はその30分後にきたという。

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