せめてMサイズを着る女になりたかった。なんならSサイズが良かった。服は小さければ小さいほど善なのだった。Sがスモールで、Mがミディアムで、Lがラージなのだから、ラージを着るのは普通でないことの表れであり、デカオンナの烙印であり、実に不名誉なことであった。Lサイズしか着れない自分の身体に対して常に深い失望感があり、Sサイズへの憧れはやまず、部屋の壁には、いつかやせたら着たいSサイズのワンピースを飾っていた。
自意識過剰で体力もあったから、倒れるまで無茶なことができた。毎日ウエストを測って記録した。プロテインを10キロ個人輸入してじんましんが出るまで飲んだ。カロリー制限と糖質制限をいっぺんにしたままビリーズブートキャンプをした。こんにゃく麺を食べても鶏肉を食べても身体の底から渇望の叫びが聞こえてきて、パーソナルトレーナーにいえない後ろめたいおやつを食べた。「病気で倒れてやせますように」と神さまにお願いしたらほんとうに高熱が出て、かつぎ込まれた病院の待合室で気を失ったこともあった。
それでもわたしはやせたかった。わたしの心からの願いだった。やせられるなら死んでもいいのだった。スリムになったらやりたいことはたくさんあって、例えば壁にかかげたワンピースを着たかった。「あなたが太るとは思わなかった」といった親や「おれより体重が軽い女じゃないと嫌だ」といったオトコの子たちと、わたしは親密になりたかった。一刻もはやく割り箸みたいな脚になってミニスカを履かなければいけない気がした。崇高な人々と付き合って、一緒にデブをバカにし、おろおろしている小太りな自分を空高く燃やしたかった。
時は過ぎ2024年。海辺の街に引っ越してから2年が過ぎた。久しぶりに会った弟に「やせた?」と聞かれたから体重計に乗った。7キロ減っていた。5年以上あがいても横ばいだったものが、どうでも良くなってから減っている。うれしかったけれど、だからといって何も起こらなかった。あたりまえだ。やせたといってもモデルか女優かの体型になったわけではなく、BMIが24から21に変わっただけのどちらかというと「健康になった」という表現の方がふさわしい感動のない減量だったのだから。いまやあのワンピースもどこにあるのか分からない。たぶん引っ越しのタイミングで捨ててしまったのだろう。
この経験を元に、もしわたしがダイエットを指南する人間になるとしたら、次の5つをホームページに掲げよう。
ひとつ、やせていることはしあわせの条件ではない。
ひとつ、この世に食べたら太るものはない。
ひとつ、海外ドラマを見て、色々な体型の美しい人々を知ること。
ひとつ、自分より大事なものへ働きかけること。
ひとつ、いつも楽しい時間を過ごせるように心がけること。
少しぐらい肉が減ったところで骨格まで変わるわけがなかった。わたしはいまだLサイズの女である。それでいい。
追記:メンタリストというアメリカの刑事ドラマで、ヴァンペルト役のアマンダ・リゲッティという女優を知ったとき、こういう種類の美しさもあるのかと驚いた。広い肩幅に、多量で艶のある赤い髪の毛、姿勢がいつもきれいで、立たせてみれば全身からパワーを噴き上げるような堂々たるスタイル!ああ、ヴァンちゃん!