「欲望には欲望で勝つ」ということばが自分の中で流行っている。元はパートナーのことばで、毎日のビールの習慣を「ビールをより美味しく飲む」ために週一にしたことに由来を持つのだけど、それをわたしも気に入り、手帳カレンダーの7月のところに書きこんだ。
ひとは欲望の中で生きている。欲望ということばを「欲深い」「欲張り」という日本語に引っ張られてネガティブにとらえるのはもったいない。お腹がすけば時計を見上げるように、植物の葉っぱが重なっては生えないように、生きていこうと思わずにも生きようとする命の勝手なふるまいの方向にあるものである。欲望はひとつ、ふたつ、と指させるものではなくわたしたちは欲望の海に頭の先まで浸かってるのであり、社会にとっての酸素であり、それがなくてはにんげんの形を保てないものである。
そしてパートナーいわく欲望はすべて他人の欲望なのだそうだから、欲望を取り出して、内面化した他人の欲望に応えないようにしましょうという女性誌にありがちな自己啓発の文言は、突き詰めれば社会人やめましょうということになっちゃうけれどいいのかなと問えるようになってくる。その文言を言う方も聞く方もほどほどな社会人、ほどほどな親子関係、ほどほどな恋人を求めてるはずだから、ことばを純粋に受け取る側のコメントなんて求めてるはずもないのだけど、とにかく欲望ということばには強度があり、いくらでも考えることがあって面白い。
「欲望には欲望で勝つ」というのは欲望に対する前向きなあきらめ宣言であり、めぼしい理由もないのに焦っていたり、フラストレーションが溜まっているとき、アタマを落ち着かせるにはいいことばである。不満を切りひらいてみると単に欲望が混線してるだけのことが多く、自分を形作るだいじな欲望を、その場限りの感傷的な欲望が押しつぶしていたりする。
自分の空間や時間をちょっと乱されたぐらいでカッカしては身が持たないのだから、欲望にステキもなにもないけれど、考えると気持ちがりりしくなる方へからだをひねって、今できることから着手するのが現実的な手であろう。欲望を消すことはできないけれど、だいじな方を注視することで、何かを見ないでいられることはある。担当編集者に褒められたい、作品増やしたい、英語の原作読めるようになりたい、お金欲しい、話したいひとと話せるようになりたい。いらいらして泣いたら涙がもったいない。やることはまだまだいっぱいあるのだから。
