
最近は助動詞の「さる」のことばかり考えている。
「お腹いっぱいだけど、これおいしいから食べさるね。」
「おもしろいから読まさったよ。」
「いい枕に変えたんで寝ささった。」
「変顔するんで笑わさった。」
「さる」は、がんばらなくてもそうなってしまうという津軽のことばである。
例えば「食べさる」というのは、食べるつもりはなかったのに食べてしまった。食べようと思ってなかったけどごはんがおいしいから箸が動いてしまったのだ。というニュアンスを持つ。逆に「食べささんない」となれば、箸が進まない、ワーッとがっつきたくなるような魅力がこの食事にない、ということになる。体調が悪かったり、メンツがお偉いさんばかりで胃が食事を受け付けないときも「食べささんない」である。
「食べさった。」「食べささった。」「食べさるね。」確かに食べたのはわたしだけど、あまりの美味しさがわたしに食べさせたのだ。標準語でいうと「食べられる」が近いのかもしれないけれど、それよりももっと他人のせいで、オートマティックで、自分にそうさせる環境を楽しんでいる感じがする。
努力して、がんばって、ひねり出すことよりも、あまりに面白かったりステキだったりする自分以外のものからの影響で、自然と「そう」なってしまったことのほうが、なんか愉快だし正しいって思う。
青森を出て10年ぐらい経つけれど「さる」だけはいつまでも舌に残って無くならない不思議をひとりで考えていたら、久しぶりに会った妹のとこちゃんが「いまだに抜けない青森の訛りは、さる、だよね」とかいい出すもんだからギョッとした。「背中がいずい」「米をうるかす」「しゃっこい水」「わんつかちょうだい」……覚えていてもしゃべられない(しゃべらさんない)ことばばかりになってしまった。