
わたしの母親はやさしいひとで、路上で倒れているひとがいれば絶対に声をかけるし、わりとどんなことも寛容に受け入れるけれど、一度ブチギレたら誰にも止められないところがあった。ドウドウとなだめても、謝っても許してくれず、こちらに向けられたこわばった背中が「わたしは怒っている、怒っている、怒っている」と告げていた。母親をキレさせたバカなわたしたちは途方に暮れ、うなだれて子ども部屋に引きこもった。耳を澄ましていると、リビングで父親と母親の言い争う声が聞こえ、しばらくの静寂があり、階段を登ってくる父親の不機嫌な足音が聞こえた。声が尖っていくほどに頭が冴えていくらしい母親に口論で勝てるひとは誰もいなかった。
自分でもブチギレたら収拾がつかなくなると分かっているから怒りの閾値を高くしているのかと思うほど、普段はやさしい母親だった。単なる「がまんしてがまんして噴火するタイプ」というわけではなく、明るい芝生の下に怒りの地雷がばら撒かれている状態だった。それを旦那か子どもがうっかり踏むと発作が始まり「わたしには不機嫌になる権利がある」といわんばかりにその怒りは持続した。
「わたしには不機嫌になる権利がある」という言葉はわたしが思いついた。あの悲しい膠着状態を、母親のいないこの場所で再現しているのはわたしだった。はじめに向かって泣きながら怒り、口先では相手を許しても、怒りの態度をほどけないわたしは母親そのものだった。母親と娘は同じ人間であると分かっていてもここまで同じだとは離れてみるまで知らなかった。
「何か水を差されるようなことを言われた。傷付いた。あなたが傷付けたのだ。だからわたしには不機嫌になる権利がある。」この論理で始まった怒りは、あまりに正しすぎて相手に隙を与えない。喧嘩の原因になった言葉そのものはもはやどうでもよくて、論点は「不機嫌にした、された」へスライドしているから埒があかない。いらいらぴりぴりしているこの状態を望んでいるわけじゃないのに、あまりに正しい論理だから自分でも脱しかたが分からない。そういう時わたしはひとりになった。「ひとりにさせて」と言って。ああ、これも全く母親と一緒だ。急に降り出した大雨が止むのを待つみたいに、心の中から怒りの雨雲が去るのをひたすらに待っていた。
絶交レベルの喧嘩を4、5回繰り返して、それでも続いている大学時代からの友だちがいる。昨日会った時、このことを喋ったら「そうだそうだ」と言っていた。一緒に演劇を作っていた友だちだった。製作をしているときは誰だって作品の奴隷で、作品を良くするためには何だってしなければいけないのに、いま思えば実に真っ当な彼女からの突っ込みを個人的な批判と受け止め、不機嫌になり、無言を決め込むわたしだった。本当はうれしかった。言いにくいことを言ってくれたこと、何か言ってくれるひとがいることがうれしかった。不機嫌なんか嫌だ、じゃれあうようないつもの楽しい会話がしたかった。
母親は祖母の反復で。わたしは母親の反復で。それは一生変わらないけど、表出の仕方を変えることは、絶対に、今からでもできると思っている。怒りのコードはこう書き換えればいい。「何か水を差されるようなことを言われた。傷付いた。あなたが傷付けたのだ。でもあなたと仲良くしたいんだ。こんなぴりぴりした空気にしちゃってごめんね。」怒ってるけど怒ってない、本当は仲良くしたい。この素直な気持ちを少しでも伝えられたら、彼女ともそんなに喧嘩しないで済んだのに、と今だから思う。