
年上の女のひとが「わたしもうおばさんだから」というとき、その言葉の自虐的な響きがわたしには悲しく聞こえ、「もう」でもないし「おばさん」でもない、美しい彼女に、慌てて、でも慌てていない風を装って「そんなことないですよ」と平坦な声で返事していたけれど、いま思えばその一言には、なにか別の甘い響きもあったのかもしれない。
昨日の夜、電話で女友だちの愚痴を聞いていた。21時半に電話が繋がると、友だちはまず「話題は3つある」と前置きして、勤め先の愚痴2つと、男の愚痴1つについて話し始めた。愚痴といいながら理路整然とした話ぶりで、こちらのリアクションを待つ余裕もあり、これは一旦ひとりで泣いたり怒ったりして一晩眠ったあとだなと思った。
わたしの友だちは今年で29になる会社員である。部署は広報系。愛想はないが面倒見がいいことを買われた彼女は、となりの机にやってきた新卒の女の子の教育係に任命された。新卒はとなりの「先輩」になんでも聞くようになった。
部署の中で彼女と新卒だけが出社した日があった(他のみんなは在宅勤務でいなかった)。その日の仕事は、ある商品の広報写真を作ることだった。背景に風船が必要だったから、新卒に買ってきてもらった。彼女が「サイズを見たいから膨らませてみて」というと、新卒はなにやら裏の説明書きを見て硬直し、しばらくして「専用の膨らませる機械ってありますか?」と聞いてきた。「ないから、口で膨らませて」と彼女は答えた。
そんなことまで聞くなんて、これから一体どんな些細なことを聞かれるんだろう、とわたしの友だちはいった。「それで、風船は口で膨らませたの?」とわたしは聞いた。「膨らませた」と友だちはいった。
風船を膨らませることひとつとっても聞かずにはいられない23歳の女の子は、その後どんなふうに風船を膨らませたのだろう。ビルの中の、緊張にみなぎったひとつの身体が、5つ年上の先輩の目の前で、やわらかいゴム風船に口をつけるとき。わたしには分かる気がする。聞こえる気がする。失礼じゃない程度に先輩に背を向けて、口元を見せないようにして、よぼよぼした乳首みたいな風船の首を歯で噛んで、めいっぱい鼻から息を吸ったのは、わたしだった気がする。わたしは息を吸う。会社でこんなに大きく深く息を吸ったことなかった、というようなことを違う言葉でほんの一瞬思い浮かべて、ほっぺたの高いところを固く引き締めながら吐く息を送り込む。一呼吸分だけ大きくなった風船に、今度は少しほぐれた気持ちで息を吸う、するとさっきの自分の質問と先輩のびっくりした顔がよみがえって息が止まりそうになる。やらかした。聞かなきゃよかった。ごめんなさいって思いながら下腹に力を込める。風船はようやく風船らしくなる。唇を離して唾液で濡れてる部分を自分でもちょっと意外な力でねじり上げ、ぎりぎりと引き伸ばし、指に巻き付け固結びする、その指運びのスムーズさに、自分はいままで何度も風船を膨らませてきたことがあったと思い出す。
「最近ね、『暑い』とか『お腹すいた』とかどうでもいいことを組織の中で話すことって、大事だなって思うんだよね。『家で焼きそばの麺を蒸してたら鍋に触れて火傷した』とか、それお前の話じゃんみたいな、人にいう必要のないことであればあるほど、いうと自分も周りも心がほぐれるんだよね。それは、どうでもいいことをこの場で話しても大丈夫なんだって安心できるからなんだよね。でね、これができるようになったのは、自分がババアになったからなんだよね」とわたしは電話口に向かってしゃべった。ババアという響きに、よだれの出そうなほど甘い快感が胸に走った。
「わかる、はやくもっとババアになりたい」と友だちはいった。「30代飛び越えて、40代になりたい」
もっともっとババアになりたい。ババアになって緊張や若さや女といったものから遠ざかりたい。楽になりたい。風船を膨らませた女の子もはやくくだらないことを話せるようになったらいい。ふと画面を見るともう2時間近くも話していた。本当にこいつとは分かり合いすぎてだめだ、となにか甘苦しい気持ちで電話を切った。