埋葬、文庫化!
(うめはらももさんのカバーめっかわだぁ〜)
横田創の小説〈埋葬〉が中央公論新社から文庫になって発売されました!ね!
うれしいし、わたし以上にうれしい人がいることがうれしい。アイザック・ディネーセンは〈アフリカの日々〉のなかで「作品にはそれぞれの運命がある」と書いていましたが、埋葬の運命はどんなものなのか、文庫化によって見させられた気がします。百人一首には「もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし」という歌がありますが、埋葬はこの山桜のようなもので、読者の個人的な絶望の地に立つ、ただひとつの桜の木(=The book)なのだと思います。
埋葬だけではなく〈トンちゃんをお願い〉と〈わたしの娘〉も収録されてありますね。トンちゃんをお願いは、貧乏な女子大生トンちゃんとゆうなの話で、好きのなかでも特に好き!な作品です。自分の弱みを指摘されないまま許されたときの言葉にならない憤りと安心の混じった涙が、読むと勝手にほっぺを流れていきます。なめらかで途切れない文体も魅力的で、はじめて読んだとき「文章を書けるひとってのはいいなぁ〜」とうっとりしたことを思い出しました。トンちゃん、めっちゃいいんですよ。切ない。これを機にみんなのトンちゃん感想を聞きたいです。
〈わたしの娘〉は双子のライオン堂出版のしししし2に掲載された作品ですね。双子のライオン堂出身の作品が文庫になるのは初めてのことらしく、これまた喜ばしいです。
ひとときは1万円以上(!)もするプレミア本になっていた埋葬。人に勧めやすい値段と形になってファンとしてはとてもありがたいです。
これからもたくさんの人に読まれてほしいです。
ありがとうメンタリスト
ほぼ1年かけて、アメリカの刑事ドラマ「メンタリスト」(2008年〜2015年)を見ていた。
1シーズン20話以上あって、それが6シーズン+ファイナルシーズンまであるので、本当に息のながーいドラマである。シーズンの途中で女の俳優のお腹が大きくなってきて、当たり前だけど、7年の制作期間はひとりの人生の7年間でもあったんだなあと思った。
ファイナルシーズンの1話まで見たので、数えてみると139話も見ていたことになる。今までこんなに長いドラマを見たことはなかったし、こんなに映像に夢中になったこともなかった。
メンタリストは小事件で1話完結みたいになっていて、それと並行して連続殺人犯〈レッドジョン〉を捕まえる捜査が全話を数珠みたいにつらぬいている。タイトルのメンタリストというのは主人公のパトリック・ジェーンのことで、ジェーンの所属するCBIの捜査チーム5人の活躍や人間関係も大きな見どころになっている。女リーダーのリズボン。元ギャングで鉄仮面のチョウ。恋する大男のリグズビー。赤毛で気の強いヴァンペルト。紅茶好きで犬っぽいジェーン。話を重ねるたびにみんなを好きになっていく。
最もお気に入りの話は、シーズン4の第21話「ルビー色の魔法の靴」で、ゲイと居場所についての話だった。ドラァグクイーンのキャバレーの外で死体が見つかることから話が展開していくのだけど、ドラァグの描き方とリズボンの嬉しそうな反応を通して製作陣がどうゲイを捉えているのか分かるようだったし、アメリカで大ウケしたメンタリストでマイノリティを扱うこと、そしてそれが広く見られたことにとても感動した。わたしはドラァグが好きで、フリフリキラキラした衣装をきた男のひとを見ると意味もなく嬉しいのだ。最後のオーバーザレインボーを歌うシーンは美しくて涙が出た。
メンタリストが生活の一部になった日々を過ごすうち、勝手にわたしの映像ぎらいも克服された。これは思いがけない効果だった。贅沢な悩みだと思われるだろうけれど、わたしは昔から映像鑑賞が苦手で、アニメも映画も心しないと見れなかった。映像作品を見ると感情が揺さぶられすぎて、その余韻が続くのがしんどいし、音や展開が激しいのも精神的に脅威だった。
それがやわらいだのは、メンタリスト100本ノックで映像に慣れたからなのと、年齢の問題だと思う。20代前後は自分の中がつねに戦争状態で、架空の世界の事件を受け入れるキャパシティがなかった。自分が落ちついたら、アニメでも現実でももっと周りのことを見渡せるようになった。
わたしたちはよく年配のひとから「若いうちに本を読んでおけ、映画を見ておけ」というプレッシャーをかけられるけれど、それはウソで、ひとそれぞれにタイミングがあるし、なんなら歳をとってから得られる賢さのうえで理解できる映画というのもあると思う。わたしの映像鑑賞はつい最近はじまったばかりだし、膨大な〈見たい映画リスト〉の前で途方に暮れているひとがいたら安心してほしい。ティーン時代の自分に会えたらそう声をかけてあげたい。
とにかくメンタリストにはお世話になった。ある時期すごく親しくした友だちのような感じを持っている。見ると心の安寧の訪れる映像になったし、英語字幕ができるならもう1回見返したいぐらいだ。(U-NEXTはいまのところ日本語字幕しかない)
とても良くできたミステリなので、これからもたくさんのひとに見られてほしい。
ひとの話は聞いたほうがいい
わたしのパートナーと一緒に住むようになって感心したことのひとつに、レシピに忠実に料理をするというのがあります。
最初のころは、レシピの載っているパソコンの画面を見たり、計量スプーンを出したり閉まったりするのがなんとも律儀で面倒なことに思えました。お菓子作りと違って大雑把でいいのが料理だと思っていたし、わたしだってひとり暮らしを8年ぐらいしてきたからきんぴらごぼうもカレーも人参の白和えもソラで作れるのです。彼だって料理はいくらでもソラで作れるはずなのに、毎日必ず料理家のレシピをひっぱり出してはタイマーを回し、大さじ1をはかります。わたしは断言するけれど、彼がレシピ通りに作らなかった日は1日だってありません。
我が家の料理長はパートナーなので、いくら彼の調理上のポリシーを面倒に思っても、献立や買い物リストを作ってくれるのは大変ありがたいので文句はいいません。わたしはスーシェフ(助手)として台所に立ち、いわれるままにまな板で切ったり炒めたりします。砂糖大さじ3とレシピに書かれていたら大さじ3を、ひとりで作ったら絶対こんなに入れないだろうなーと思いながらも入れます。
パートナー御用達のレシピサイトは「みんなの今日の料理」と「dancyu」と「白ごはん.com」です。あとはGoogleの検索窓に食材名を入れておいしそうな画像からレシピを探していることもあります。「ヒガシマル」と「オレンジページ」のレシピも使うし、朝食に出てきたトーストの上のドレスみたいなオムレツはインスタのリールで見つけた焼き方らしいです。
レシピに従うことの意味を知ったのは、美味しくていい料理が作れる日が続いたときでした。料理家の名前を見ると大庭英子とあって、次の日作ったピカタも大庭英子さんのレシピでした。今まで料理家の名前を意識したことのなかったわたしにとってそれは驚きでした。青森から上京してはじめてキンモクセイの香りを認識したときのように、ぱーっと霧が晴れて、レシピの向こうに料理家が現れたのでした。ご飯を作って食べているだけだと思っていたけれど、いいえ、わたしは大庭さんの料理を作って食べていました。
レシピを探すということは、節約や冷凍庫整理のアイディアをいただくためにあるのではなくて、常に料理家を探す旅なのかもしれません。砂糖の量にびっくりしても、いったんそのひとの話を全部聞いて従ってみると、料理家にも個性があることが分かります。おもしろかった書物の作者の、他の著作も読んでみる「作者読み」のようなことを、料理でもできるようになったとき、ひとりの作家を見つけたときと同じ喜びがそこにあるのです。
最近作って美味しかったのは井原裕子さんの、じゃがいもと豚こまのカレークリーム煮でした。パルメザンチーズと牛乳を煮たら、なぜかココナッツの風味のするやさしいグリーンカレーになりました。わたしじゃ絶対思いつかない作り方だし、作ってる間も味が想像できなくておもしろかったです。ひとのいうことを聞くのって楽しいなーといまでは思います。
(たまにはおいらにも笹以外のものを食べさせておくれよ。)
(いいよまるてぃん。)