ジュリアン・バーンズの紹介でアニータ・ブルックナーを知り、彼女の紹介でコレットを知り、そのまた紹介でボーヴォワールに流れ着いた。フェミニズム、もっと勉強したい。ボーヴォワールの「第二の性」の合間に「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください/上野千鶴子・田房永子」を読んだら面白かったので、自分用のフェミノートを作る。
○フェミニズム(女性解放思想)とは?
→弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想のこと。
○女性は弱者か?
→成人男性が占める「市場」にとって、そうである。男社会の既得権益が、女を弱者にする。上野千鶴子の「公私の分離モデル」によると、社会の領域は「市場」と「家族」に分かれ、女・子ども・年寄り・障害者は弱者として家族というブラックボックスに置き去りにされる。
○既得権益(きとくけんえき)とは?
→ある社会的集団が歴史的経緯により維持している権利、およびそれに付随する利益。男の既得権益には、賃金の多さ、家事育児の免除、性の自由などがある。
○なぜ男にだけ既得権益があり、女にはないのか? 逆はあり得なかったか?
→(つまり、女は二流という偏見はどこからきたのか、女を弱者にしたきっかけは何かを知りたい。男も女も生まれつきではなく、社会が作ったものだけど、最初の男の言い分を私は知りたい。子どもを産み育てる女性の身体の機能が(男の中で)女と家庭のイメージを結ばせたのか? もしも男が筋肉や体力がありながら妊娠でき、女が妊娠も体力もない存在であったなら、それでも女は弱者だろうか?)
○男は、女が女であることに気がつくことができるか? つまり強者は弱者に気がつくか?
→ほぼない。強者は、弱者に対する想像力を持たずにすむ特権を持っている人たちのこと。弱者は、権力関係が直接自分の身に降りかかってくるから、否応なく考えざるをえないが、強者は弱者に対して想像力を持つ必要がない。
○男は女の何が嫌いか?
→弱さが嫌い。女の弱さを認められないことを「ミソジニー」と呼ぶ。弱さ嫌悪全般はウィークネスフォビアと呼ぶ。ウィークネスフォビアは、女をホモソーシャルの社会に同一化させる。
○「ミソジニー・ホモソーシャル・ホモフォビア」は誰による提唱か?
→20世紀のアメリカのジェンダー研究者イヴ・セジウィックによるもの。上野千鶴子が広めた。
・ホモフォビアは、同性愛嫌悪の意味。
・ミソジニーは、「女ぎらい」「女性蔑視」の意味。
・ホモソーシャルは、ミソジニーによって成り立ち、同性愛嫌悪によって維持される男性間の絆。
ミソジニーは、しかし男女にとって非対称に働く。男にとっては「女性蔑視」。女にとっては「自己嫌悪」。女の自分が社会的弱者であることへの嫌悪。女の中のウィークネスフォビア。
○男女平等とはどんな状態か?
→(私は思う)〈男〉と〈女〉がある限り男女平等はない。男と女は非対称なものだから。男の背景に既得権益があるなら、男はそれを手放して女にならなければいけない、ミソジニーにとってそれは屈辱だろう。また、女は男になることを人生の救いとしてはいけない、それは自己嫌悪に裏付けられているから。
女が男並みになることが男女平等とは言えない。それは男社会の価値観の中での〈平等〉の解釈だから。
○フェミニストとは?
→フェミニストは男になりたい女のことではない。自分の中にあるミソジニーと闘う人のことだ。女の呪いをかけた親を殺すことはできないが、学びの中で若いひとたちに呪いを継承せずにすむ。
上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください/上野千鶴子・田房永子
平成31年度東京大学学部入学式 祝辞/上野千鶴子