遠浅

平野明

撮影日1968年

(これは京都のあるクラブで)

1967年にジャン・ジュネが日本に来ていたことは知っていた。恋人(ベンダガ)が自殺し、深い抑鬱状態だったジュネに、日本への旅路を勧めたのはヒサコだった。ジュネを乗せた飛行機は、同年12月22日にフランクフルトを出発する。「恋する虜」にそう書いてある。
だけどジュネが富士山をバックに写真を撮っていたのは知らなかった。となりには黒いサングラスをかけた女性がいる。彼女の名前は藤本晴美。照明家だ。ふたりは自然に並んでカメラの方を見る。みずみずしいまなざし。ピースはしない。少なくとも雨ではない天気。見たことのない写真なのに、絵にかけるように想像できる。
藤本晴美の生涯はWikipediaに乗っていない。そもそもwikiページすらない。ネットに漂う断片的な情報をかき集めているあいだ、わたしは藤本晴美に夢中になっていた。照明デザイナーのインゴ・マウラー(1932〜2019)と同時代を生きた。著書はない。映像と照明の勉強のために単身でフランスとイタリアへ行った。ディスコのMUGENメンバーだった。

MUGENは日本に初めて登場したディスコだ。1968年5月に赤坂でオープンし、1987年に営業を終了した。1960年代生まれならぎりぎり知っているかもしれない(1970年生まれのクラブ好きに訊いてみたらMUGENを知らなかった)。けっこう古い時代なのに、写真で見るMUGENは、ベストでオンリーじゃないかってぐらいカッコよくて嫉妬した。

そんなMUGENの照明・映像を担当していたのが藤本晴美だ。2005年の雑誌(brio)のインタビューの中で彼女は話していた。
「時間は地獄だったけど何でも表現した。当時、音と光をシンクロできる人はいなかった。毎晩練習し、プログラムを組んだ。とにかく最大のポイントは、すべて格好良くなければならなかったということ。」

写真の中のみんなは相当なオシャレをしている。細い階段の黒い壁。サイケなイラスト。本格的な黒人バンド。お立ち台。バチバチのストロボ。激しい原色。一面のリキッドライト。大のオトナがめちゃめちゃに踊っている。

当時第一線にいたオトナが集まって最高の空間を作る。誰もやったことないこと。見たことないもの。味わったことのないもの、誰かのヤバい夢を目の前でカタチにしちゃったひとたちがいたこと。空間ものは記録が難しいけれど、その痕跡を見るだけですごく勇気づけられる。

1968年、藤本晴美はMUGENを訪れたジュネをスポーツカーに乗せて富士山までドライブした。富士山をバックに2人が写っている写真が、この世のどこかにしまってある。その絵を考えるだけで、わたしの心臓はしあわせに震える。