遠浅

平野明

8月

8月のマグ。鎌倉で買いました。沖縄の読谷村産の焼き物(やちむん)。日に日に格好良く見える。使ってるのはほとんど同居人です。

夏が夏のまま秋の風を吹かせてる。あっというまの夏だったけれど、あっというまではなかった。毎日いろいろあった。空を見たとか。太陽を見たとか。海と、海を見にくる人を見たとか。夏の気分と、遊んで出来た日焼け跡が自分のからだに残ってる。

まわりの人の誕生日を思い出す。生まれた月には、その人の性格が写っているような気がしてしまう。いつも誰かの誕生月に包まれながら生きてる。8月もそんな感じだった。遠いところから人が会いに来てくれて、同じ時間を過ごしたあと、また遠いところへ帰っていった。そういうスケールの大きさがあった。次に会うなら、また夏がいいなと思わせる人たちだった。

その中で、Gigi Masinを教えてくれた人がいた。イタリアの電子音楽作家で、すごく落ち着くし気持ちよく沈める。Cloudsという曲はNujabesもremixしてた(気づかなかった)。最近こればかり聞いている。おすすめです。

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8月前半、ジュネの作品を読んでいた。彼の最上の愛情表現は書くことだ。と伝わった。愛と書くことが結びついている彼に強く共感した。

愛は(わたしはまだ愛以外の言葉を知らない。)いたるところにあるんだと思う。仕事への愛、地球環境への愛、友人の命への愛、ゴハンへの愛、町への愛、才能への愛……。いつもその中から何かを選び、力を注ぐ程度を決めなければならない。だから、いま誰もがそこにいる。

愛情表現もまた色々だと思っている。わたしの最上の愛情表現、愛へのリアクションは書くことだったし、今もそう。愛があるから書いてるだけだし、これからもそう。そして愛情表現は愛情表現未満であることで保たれる。わたしの言葉よ、どうか透明であって。

ばたばたした夏の勢いが冬に向かって冷えていって、代わりに細かいとこまで考えられるようになって、少しづつ静かになる身体の中で、親を知らない雪の重なりのような景色に、また出会えますように。