遠浅

平野明

スペース

自殺と言われるものは全て他殺だ。自分は自分を殺さない。殺したのは内面化した他人の表現だ。他人とは誰か? それは具体的なただひとりではない。わたしは彼を弔うことができない。弔ったその瞬間、彼の周りの人間を憎み、憎んだことすら忘れるだろう。よその国の出来事のような気がして。
彼・彼女が死ななければならなかった世界を作ったのはわたしだ。偉くて知らないおじさんが作ったものではない。ただそこにいることへの不感、バーチャルでビビットな混乱、自分への裏切り、忘れっぽさ、例えばそういうことが世界を少し悪くしていた(かもしれない)。作りつつ、参加している。
昔、親戚が自死したとき、ばあちゃんは涙を流しながらものすごく怒っていた。その不思議をやっと理解する。亡くなった人間の決断に生きてる人間が口を挟むなんて(悲しむなんて)おこがましいと思っていた。だけど違った。生きている間のわたしたちの無数の裏切りの量と、生から生へのひとつの裏切りは、まったく比べらるものではない。いま目の前にいないことと、死んでこの世にいないことは、同じじゃない。いないなら死んだも同じとは思えない。この街を包む雨が、2度とあなたの肩を濡らすことはない。悲しんでいい。いずれ見るもの全てが虚無の質感に包まれるまで。
高校ではじめてスマートフォンを持ったときからあなたのことを知っていた。その華やかさは、原宿から遠く離れた青森の高校の教室にも届いていた。それからずっと、ぺこちゃんと結婚して子どもができて、めちゃめちゃかわいい女の子になってもずっとみていた。知っていた。魂に性別はない。あなたを見てどれだけそう思えたか。
身勝手なんて思わない。思うわけがない。だけど悲しい。ぞっとするほど悲しい。悲しいですりゅうちぇる。生きていてほしかった。