遠浅

平野明

26

時間がない。時間といっても休む時間ではない。寿命のことではない。終わろうとする今日1日のことでもない。ここで案じる時間とは関係の締め切りとわたしとの距離だ。タイミングや季節の終わりはいつも(いままでも、これからも)四方八方から音もなく光速で近づいてくる。それがいつ訪れるかわたしには分からない。分からず、でも必ず訪れることだけはよく分かる。

ジュリアン・バーンズはまだ作品を書き続けている。彼の作品をわたしはまだ読破していない。/友人は10月に公演の予定を立てており、いまはまだ10月ではない。/その話のあとまだ彼女に会えていない。だから彼女の元気がまだ分からない。/祖母はまだ生きている。祖母はわたしにまだ作品を送ってくれる。わたしは彼女に作品を見せたことがない。まだ。

新しい景色を一緒に見たい。そのときその人は隣にいるだろうか。わたしは間に合うだろうか。同じ言葉を交わせるだろうか。彼女たちの時間や気高さに間に合うだろうか。

時間がない。と思うほど時間を全身に感じている。いま、わたしはひとりではない。時間をもたらしてくれた多くの関係に、感謝したい。

今日で26になる。