遠浅

平野明

昼の停電

ふっつりと映画が止まった。おいぼれmacの問題? サーバーダウン? 家のWi-Fi? ヘッドホンを外してMacBook(2015年製)から顔をあげると、向こうの同居人と目が合った。wi-fiのコンセントを手にしている。「なになに」「パソコンが急に落ちた。家のブレーカーが落ちたのかもしれない」

ではなくて、停電になったのだった。窓から顔を出すと、隣のおうちのおじさんが路地の真ん中で誰かと電話をしていた。大丈夫? いつ復旧するの? 困った時に抑えずにはおれない電話の声が静かに響いてやがて消えた。耳を澄ましていると、目の前の空をかもが飛んでった。雲は内気に流れた。光景から音だけ抜いたような、昼間なのに昼間の気配しかないような、地味で静かな停電だった。「ラーメン、塩としょうゆどっちにする?」「塩」

とはいえ電気が止まっただけなので、蛇口をひねれば水が出た。コンロはちゃんと点火した。キッチンタイマーを4分に合わせる。トイレの水は流れたが、ドアを閉めれば暗闇だった。パソコンは落ち、仕事は中断され、冷蔵庫の温度はゆっくり上がり、本は読めた。かもは飛び、雲は流れ、電話もLINEも届かない。ちょうどそのとき光の中で塩ラーメンが茹で上がる。

2つのどんぶり。2膳のお箸。2袋分の塩ラーメン。ともらないスタンドライトがこっちを向いている。もし劇場で停電が起こったら大変だろうな。日中だったからまだよかったな。バイト先の冷蔵庫大丈夫かな。大変だろうな。スープに浮かんだ卵を崩す。あけっぱなしの窓からゆるい風が流れてくる。この静かな待ち時間に、なぜかこんなに感動した。言葉も音もない部屋で、数年分の力が抜けた。

モーターの寝起きみたいな音がした。冷蔵庫の扉を開けると、中は冷たく、明るかった。

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