遠浅

平野明

強くてヘンテコ

人生に運命はないけどたぶん傾向はある。

わたしは色んなパターンの女性を見せられている。何か決断しないといけない時、今年イチの勝負ごとの時、思い切ってどこかへ飛んだ時、そこには絶対女の人がいる。強くて、ヘンテコで、きらきらした瞳をもつ人たちだ。

ボートしてたとき、コーチがオリンピック選手だった。川に転覆しても「命より船を守れ」と岸から叫ばれ、エルゴ(陸でボートの動きを再現できるトレーニングマシン)の上では過呼吸にならないギリギリまで呼吸を追い詰められ、ライオンの教育法かよと思った。おかげで国体の世界を一瞬見た。彼女はまだ競技に関わり、選手を育てているみたいだ。ある雑誌のインタビューで、彼女はこう言う。『世界で活躍できる選手でいる時間はとても短いです。だからこそ、勝利至上主義にならず、私たちアスリートがスポーツを通して得た強靭な精神力と肉体は、自らの勝利や名誉のためだけにあるものではないと思っています。』

2年前は仕事の縁で、カーリングの日本代表選手とよく会った。カーリングはメンタルゲームで、いくら技術があっても精神的に弱いと簡単に負けてしまうか、勝っても美しくないゲームになる。1ゲーム2時間の中でいかに団体としてまとまりを持ち、集中を切らさず、落ち込んでる奴がいたら引っ張り上げ、全員で勝者の顔をしていられるかが勝敗を分ける。石の行方も大事だけど、彼女らの顔つきを見るのも好きだった。勝ちを引き続けるあの子はすごかった、いつも突き抜けて明るく、勝ち気で、ファンも多かった。笑顔に裏打ちされたタフさっていうものがこの世にはある。

南の島でも女性との縁が強かった。ある女の子とはミスドでインタビューのようなこともした。その子には、いつかそれで書いてくれとも言われた。強くて眩しくて、言葉ではまだ、話すことができないけれど。

あ あんじゅの中ではさ、あのひとはさ、あんじゅの持てる、全ての愛で、宝なの。ほんとになんかね、一生出会えんかったとしても、一生大事。
私 偉大だね。
あ ほんとに、あんじゅを作った人。この人がおるけん、今のあんじゅがおるし。
私 すごいね。人って、ほんとに人に作られるよね。
あ そう。ほんとに思うのはさ、今までもさ、すごいブラックなことしてたし、ほらグレーって稼げるけんさ、なんかそういうさ。なんかあのひとがおらんくなったら、自分の中の歯車が狂ってまた堕ちるんじゃないかって、ちょっと心配してたの。自分でどんだけ自分をもっとっても。やっぱり人間ってさ、ラクに生きたいじゃん。
私 うん。
あ ね。だけん堕ちるんじゃないかって思ったの。今あのひとがいるけんあんじゅは真面目に生きてるだけで、おらんくなった時の自分を見るのがちょっと怖かったんだけど。たまにふとさ、堕ちてえなってふと思うことがあるの、疲れたな。もういいやってなるんやけど、あの「あーちゃんなら大丈夫」っていう言葉がさ、もう頭から離れんの。その言葉があるけんさ、なんかあんじゅも、ずっとさ、これからも多分あんじゅでおれるんだと思う。それってすごくない。なんかすごいよね言葉って。それが小説の一文だろうがさ、映画のセリフだろうがさ、自分の中で生き続ける言葉って、ない?
私 ある。
あ だけんあんじゅって物語が好きなの。

私 あんじゅってさ、フランス語で天使じゃなかった? 
あ そーなの、よく知ってるね? 
私 ちょっと習った。全部忘れたけど、そこだけなんかかすかに。

(インタビューから抜粋。掲載許可済)

 

もっといるよ。もっといるよ。80代も中学生も、昨日出会ったばかりの女性も。目に清潔さをたたえ、整然と混沌をすごいバランスで内在させてる、そしてその出力も上手でパワフル。でもまだ話せないし、話したくない。なんでもそうだけど、渦中にいるときはうまく話せないでしょ? そしてそれが人間になると尚更。今は時間を楽しもうと思う。

先日、ひどく京都の山に怒られて(ごめんなさい)床にくたばりながら思ったのは、この世界は生きてる人だけで出来てるわけじゃないってこと。当たり前だ、死んだひとの方が多いのだから、ひと以外の命の方が多いんだから。たくさんの気配の中で、生きてるひとがたまたま目の前にあらわれて、おもしろい人生を垣間見せてくれる。そのありがたさを私はちゃんと受け取り、何かで返さないといけないんだな。(なんて乱雑な文章だ。おわり)