遠浅

平野明

9月

9月のマグ。鎌倉で買った。

南風から北風に変わったのが9月22日の夜。それを境にぐっと涼しくなり、窓を開けて過ごす日が多くなった。夕方に散歩をしていると、開け放った窓から夕ご飯の匂いや話し声が聞こえてきて、春先みたいだなと思う。

10月になると1年がひとつ終わった気持ちになる。来年のことで具体的に手を動かしたり、人といろいろ計画したりするからか、年末年始よりずっと1年の結び目みたいな感覚がある。実際の年末は結局毎年忙しく、あまりおせちを食べるムードになれなかったりする。

横田創に勧められた吉田修一を読んでいた。初恋温泉/パーク・ライフ/悪人/熱帯魚/最後の息子/春、バーニーズで/犯罪小説集/逃亡小説集/ミス・サンシャイン。を読んだ。横道世之介は映画でみた(傑作)。イチオシの「7月24日通り」はまだ読んでない。「国宝」も「パレード」も「キャンセルされた街の案内」も家にあるけど読んでない。とほほ。どれだけ多作なのさ。そして全部おもしろい。びっくりする。
吉田修一って知っていますか? わたしは知らなかった。映画の「悪人」しか見たことなかった。この人、えって言っちゃう位にすごくないですか? 意味のない「待って待って」が出ちゃうぐらいには、ちょっと天才じゃないですか。呼吸が文章にシンクロしてきて、冷たい涙が搾られたみたいに落ちたり、胃が震えるほど笑っていたり、ぐちゃぐちゃになるまで文庫本を握りしめていたりする。文章が上手。上手で面白い。読書でしか味わえない快感を久々に浴びました。

最新作の「ミス・サンシャイン」は傑作。無理がない文章というか、足元が照らされているように文章が明るくて、釣られてスルスル読んでいくと、最後にはかなり遠くまで来ているびっくり体験ができます。
大学院生の男子の語りのライトさが、題名の「サンシャイン」に落ちる影と複数の人生の重さとのバランスを取ろうとしていて上手。だけどバランスなんて取れなくて、読んでて泣いてしまう。原爆は一つの大きな損傷なのではなく、個人的な傷の経験と膨大な記憶の消失の総体なんだと思った。返ってこないのが分かっていても「返せ」と思わずには、叫ばずにはいられない存在がひとりひとりにいたんだよな。残された人、もういない人。無いものは無い。だけどどうして叫ばずにいられるだろう? 言葉が、叫びの残響に像を結ぶよう。

映画「アフターサン」を見たとき、映像と音が心の中に像を描く感覚にドキドキした。見ている映像とか、聞いている音とは別のところで、ふたつが影響しあってちいさな虹をつくる。吉田修一の文章にも同じ感じを持つ。言葉と言葉のおしゃべりと、時間のレンジの広さが、ある光景を点描する。例えば、太陽は直視できないけれど、川面の白い輝きを見て太陽のことを思うことができるように。

10月も元気に過ごせますように。直近の楽しみはThe Labyrinth 2023。秋の群馬、どんなにいいだろうな。Donato Dozzyを聴きながらわくわくしてる。