遠浅

平野明

お天気写真

お気に入りの駅をみつけた。ホームの柱がぽてっとすべすべしていて、待合室も懐かしく、どんな天気の光でも似合いそう。

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f:id:hiramydays199:20221216014850j:imageてくてく。

f:id:hiramydays199:20221216091404j:imageてくてく。京都はどこ歩いてても、空と地上のやりとりに夢中になれる。

f:id:hiramydays199:20221216091758j:imageまた駅。

 

f:id:hiramydays199:20221216093230j:imageちゃり。


f:id:hiramydays199:20221216093312j:imageうまく撮れない!肉眼ではすごく良かった。


f:id:hiramydays199:20221216093243j:imageまた川。川は良い!


f:id:hiramydays199:20221216093246j:imageシンパシー。


f:id:hiramydays199:20221216093236j:image川。


f:id:hiramydays199:20221216093253j:imageきらきらしてる。


f:id:hiramydays199:20221216093233j:image公園の丘。


f:id:hiramydays199:20221216093319j:image喫茶。この日、すごく天気が良くて、もう少しここにいようかなと思いました。
f:id:hiramydays199:20221216093256j:imageお天気だ。


f:id:hiramydays199:20221216093300j:image柿だ。


f:id:hiramydays199:20221216093239j:image雲だ。


f:id:hiramydays199:20221216093249j:imageにほんだ。


f:id:hiramydays199:20221216093303j:image目が悪い。


f:id:hiramydays199:20221216093306j:image水族館。ガラスの厚み。


f:id:hiramydays199:20221216093316j:image閉館だって。


f:id:hiramydays199:20221216093309j:image海。年の後半は、怒涛のお天気ラッシュ。

 

また写真を撮ってみようかな。フィルムじゃなくてコンデジでもいいや。シアノプリントも、またやってみようかな。プリント大事だなあ。最近やっと、どこが写真のアマとプロを分けるのかわかった。精度とかではなくて撮るという行為の捉えかたの問題。

 

 

バス

あなたは二日酔いのまま、島でひとつしかない婦人科を探してバスに乗った。病院で高い薬を出してもらって水と一緒に飲んだ。毒だと思ったらあなたは少し安心した。何かのきっかけで女医さんに話し始めたら止まらなくて、心臓がバクバクして椅子から落っこちてしまうかと思った。イヤなのに、あなたは声をあげて泣いていた。いますぐ消えてしまいたかった。

病院に向かうバスの揺れを忘れない。忘れないというかそれはすでにあなたの一部だ。ここには後ろから二番目の席に座るあなたしかいなくて、雨で汚れた窓越しに光る昼間を見ていた。天気が良かった。あなたは世界から隠れて左手の脈をはかった。まだ生きている。あなたは自分を抱きしめた。バスの揺れがさみしくて、震えながら壊れてしまいそうだったから。

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あの転校生

親の転勤、転勤、転勤で、別れのあいさつと初めましてのあいさつなどお手のものだ。県内の移動ではあるものの、漁港から山へ、田舎から町へ、南から北へと、転園しまたは転校し、どこにも根付くことなく、ただ出会いだけを増やして大人になった。幼なじみはいない。どこの方言も話せない。あの甘いティッシュを食べるのが好きな白い犬だけが気がかりだ。まだ生きてるのかな。黒板に自分の名前を書く。
いつか転校生じゃなくなるのだと思っていた。ところが転校生はずっと転校生の続きをしている。文系から理系へ、ボートから美術へ、デザインからファインへ、街から街へ、朝から夜へ、次の街へ。『え、バックパッカーなの?』と人は聞く。いやバックパッカーじゃないし、好きでしてるわけじゃないしと、やや内気な言い方をしてしまう。そして翌日、宿を出る。
転校生のいいところは、どこでも入っていけることだ。(つまりそれはどこにも入れないということなんだ。)きのう駅の改札で仲良くなったドカタのおっちゃん。シャーマンのひとみさんからかかってくる電話。村上龍の古本を買ったら「おれもハルキより好き。また会いましょう」と握らされた番号。小学生にギターコードを教える時間。レイヴの痕跡を二人で見にいく。夜の3時、つぶれたキャバクラの女の子をおぶってタクシーを拾う。窓が冷たい。流れる街灯を一人でみる。
“踊るのは、悲しいからだ。”は、友人越しの友人が言った言葉。

去年は3回、今年は4回引っ越しをした。もうこうなっては、誰でもいい人になりたいと願うばかりだ。須賀敦子が夫に宛てた手紙と、似たようなことを思う。『……ペッピーノ、私にはなぜ、友人たちが言うように、自分の人生を決めつけなければならないのか、何者かにならなければいけないのか、わかりません。私は小さく誰でもない人間になりたい、大したことなく、大きなことを言わない人間に。それは私が望んでないからではないのかもしれません。私にはそれが、自分が生きるためのたった一つのあり方のように思えるのです。(昭和35年4月14日)』

わかる人にだけわかればいいとか思わない。いろんな言語があることを知っている。それがアルコールなら、踊りなら、温泉なら、歌うことなら、それでわたしは話すから。あなたが少し笑った時、あなたが幼稚園生だった頃を想像する。ひらがなの名前が縫われたチューリップのワッペンを想像する。その時あたしたちは仲良くなれただろうか。高校だったらどうだったろうか。苗字順に並んだ机、あなたの苗字は『y』からはじまるからきっと窓際の一番後ろの席で、窓ばかり見てるあなたにぎりぎり手紙を回せたかも。あなたが笑うとき、一瞬幼いあなたが顔を出すようで、あたしはいつも嬉しい。きっと、もっといろんな人と話ができる。転校生の魂は想像する。

 

2019/2020

2019年と2020年につくった舞台の映像記録を公開します。

舞台って舞台という形で100%なのですが、しかも定点で撮っているこれは映像作品ではなく映像記録なのですが、つぎ観にきてくださる方に過去作品を紹介するためにも、公開することにしました。
コロナが流行ってから、舞台を映像の形で公開することに対して、少し慎重になっていました。公演から3年が経ったけれど、今がわたしにとってベストタイミングな感じがします。
もしよかったら見てください。

 

www.youtube.com

2019年
ユニット夜のピクニック第4回公演
『飽きれるほどの諷諭に晴れ』2019/5/8-11

会場 武蔵野美術大学

作 渡辺喜一郎
出演 A レナ
   B 笠井晴子
   C 平野明
音響 waimai
映像 龍田哲郎
衣装 idachi、丸山結衣
照明 小笠原恵

 

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ユニット夜のピクニック第6回公演
『まぶたのルート』2020/10/17
会場 ヒラコダイラ

作 平野明
出演 レナ
   坂本彩音
   笠井晴子
音響 waimai
映像 龍田哲郎
衣装 idachi

 

(喫煙所で撒いたライター。)

夜の公園でピクニックするブームからはじまったユニット夜のピクニックは、学校卒業したしさすがに名前を変えようということで『手手』になりました。いろんな記憶がある手と手で、記憶があるままの両手で、次のあたしたちの“言葉”を見つけに行きます。

 

好きとかじゃないわよ。音楽は良いわよ。

そのときわたしは生ギター(エレキではなく楽器から直接音が鳴るギター)しか持っていなかったので、壁が薄い新居では室内で弾けず、しょうがないので早朝の川辺で弾くことにしていました。5時とかなら人がいなくて恥ずかしくないし、いくらヘタでも川の音がかき消してくれたからです。もう寒くてとてもできませんが、その朝が楽しみでした。
人が通りかかっていつものように手を止めました。聞かせたくないとかじゃなく、なんか散歩の迷惑かなと思って。でもその人は立ち止まり、もう少し聞かせてと言って演奏を促しました。下手だし恥ずかしかったんだけど真剣に弾いて、はじめてのお客さん、マダムみたいなマダムとそのチワワは最後まできいてくれました。持ち曲の全てを弾き終わったあと、川の音と拍手が気恥ずかしくて、音楽お好きなんですかと聞いたら、マダムは「好きとかじゃないわよ。音楽は良いわよ。」と答えて、わたしに新たな課題曲を与えたあと、朝のきらきらの向こうにチワワと一緒に歩いて行きました。

『好きとかじゃないわよ。音楽は良いわよ。』という言葉がずっと心で輝いてやまないのは、わたしが誰かに何かを言い切る力、日本語で伝える度胸をどこかで放棄してきたからだと思います。絶対なんて怖くて使えない。絶対なんて絶対ない。だからこそ、ふと出会った肯定の言葉によって出会い直したのだと思います。控えめに好きだと思っていたものに。
主観的なことを話したくない自分と、自分から放たれる言葉は絶対に主観である事実と、根本的な話したい欲求の拮抗で消失した言葉で、無音の中で生きてしまったわたしにとって、おしゃべりな人や、関西弁のシケってない感じはさわやかでとんでもなく好きです。『知らんけど。』なんか特に好き。他人から聞くとしあわせな気持ちになります。『知ってるわ。』これもいい。あと、『君は〇〇も知らないの?』構文も好き。過去、深夜のドライブ中に音楽の話になって、「君はミスター・ビッグも知らないの?」と言われたとき、ワクワクしすぎてこれから世界がはじまるのかと思った。脱線したけど、この知らんけど精神に習って、誰かに何かを言うことを怖がらない練習をしたいと思います。


(5月とか。)

私淑する橋本治が何かの本で、『生きてると人生がだんだん遊園地みたいになってくる』と書いていたような気がします。治ちゃん、わたしにもこんなに好きなものが、好きというか愛せるものが、人とか場所とか思いが増えるとは思わなかったです。ほんとに遊園地みたいだ。

『知らんけど』、人生は、愛するものを増やしてあらゆる愛を深めていくことだと思います。春にそう決めたので、教えられたので、平気でそう思っています。自分への愛、友人たちへの愛、恩師や上司への愛、仕事への愛、舞台への愛、自然への愛、故郷への愛、ギターへの愛(New!)、などなど。言葉を愛することはできません。わたしにとって愛とは言葉だからです。平気でそう思っています。

別に難しい話じゃなくていい。お弁当の中にお茄子があって、「あたし茄子好きなんだよね」と平気で言う人に、言える人にわたしはなりたいです。

正気を保つために川を歩いてたらnujavesが話しかけてきた。

"You’re a flower.You’re a river.You’re a rainbow."

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なんでわたしは死んではいけないのか分からなかったけど、おばーに「あなたの子孫から神さまが消えるよ」と言われた時はじめて納得したよ。友だちが悲しむよと言われても響かなかったのは、「でも彼らは自立した大人であり、一人の人間の悲しみなどいつか乗り越えられることを知っているから」と思っていた、思い上がっていたからなのだけど。あなたに会い、わたしの命は点ではなく、過去から伸び未来に流れる川なのだと分かった時、その川を汚してはいけないと思って、生きることにした。

大丈夫、ここは大きな大きな川の中ほど。