遠浅

平野明

日々Shazam

まるで友だちみたいに小袋くん小袋くん呼んでるNariaki Obukuroの紹介してくれる音楽が全部いい。Spotify上にFlip Side Planet(j-wave)で流した音楽リストを公開してくれていて、毎日恩恵を受けています。知らないアーティストと出会えるし、知ってるアーティストも知らない人みたいに聞こえて面白い。

小袋くんの話を聞いていると、街中でShazamを意識的に使っているらしくて(そりゃそうか)、最近だと

”モロッコマラケシュに行っていました。そのレストランとか、街で流れてた曲をshazamしたり、色んな人に教えてもらったりした曲たちを流していきます。”

とか話していて、わ〜分かる、Shazamすることは小袋くんの自然で『手』なんだろうなと感じました。伝わりました。(Shazam=街中で流れる音楽を聴かせると、曲を識別してくれる音楽アプリ)

www.shazam.com

 

いい文章もいい音楽も、実は簡単に手が届いちゃうのであとは自分の握力だけが必要だなと思います。握力だけ。とかいうけど、素通りしないでShazamすることって手を伸ばすことより大変なんだけどね。

 

最近のわたしのShazamを紹介。アニータ・ブルックナー『結婚式の写真』の89ページから。

〈アルフレッドを汽車に乗せて、彼も汽車も見えなくなってしまうまで手を振っていたミミは、駅の汚らしいアーケードを引き返してもう一度光のあふれている九月の午後の世界へ出る。一瞬、彼女には何をすればいいか、どこへ行けばいいか、何を待てばいいか、どのくらい待てばいいか、何ひとつわからない。だが、この年もそろそろ終わりだと思うと、白っぽく輝いている太陽が、いっそう頼りなげに美しく見える。〉

 

記録2024

【本】
0113 キリスト教の核心をよむ/山本芳久
0113 霊に憑かれた女/ジュリアン・バーンズ
0118 怒り(上)/吉田修一
0119 怒り(下)/吉田修一(一気読み)
0125 パレード/吉田修一
0203 東京湾景吉田修一(最高)
0203 余録の人生/深沢七郎
0209 となりのカフカ池内紀
0210 香水/パトリック・ジュスキント/池内紀
0214 パレスチナへ帰る/エドワード・サイード四方田犬彦訳・解説(良文)
0216 感情教育中山可穂(恋愛小説)
0219 マラケシュ心中/中山可穂
0222 旧約聖書物語/文・脇田晶子 絵・小野かおる
0225 パレスチナ/芝生瑞和
0225 パレスチナ合意 背景、そしてこれから/芝生瑞和
0228 天才アラーキー写真ノ方法/荒木経惟
0306 新約聖書物語/文・脇田晶子 絵・小野かおる
0314 モロッコ流謫/四方田犬彦
0317 私の修行時代/コレット佐藤実枝
0317 あなたの人生の物語テッド・チャン
0317 裸足のパン/ムハンマド・ショクリー
0320 花伽藍/中山可穂
0321 親指Pの修業時代(上)/松浦理映子
0322 親指Pの修業時代(下)/松浦理映

0325 100分de名著 ボーヴォワール『老い』/上野千鶴子
0327 遠い空/富岡多恵子
0328 上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください/上野千鶴子田房永子
0402 ハバナへの旅/レイナルド・アレナス
0410 カフカ短編集/フランツ・カフカ池内紀編訳
0410 たのしい写真/ホンマタカシ
0418 夜になるまえに/レイナルド・アレナス
0420 あの空の下で/吉田修一
0424 女たちは二度遊ぶ/吉田修一
0425 静かな爆弾/吉田修一
0426 発情装置/上野千鶴子(大尊敬)
0429 ここは退屈迎えに来て山内マリコ
0430 私の男/桜庭一樹
0512 こんな世の中に誰がした?/上野千鶴子
0513 愛のごとく/山川方夫新潮文庫
0513 夏の葬列/山川方夫
0516 日曜日たち/吉田修一

【映画】

0101 タイタニックジェームズ・キャメロン
0102 タクシードライバーマーティン・スコセッシ
0103 ニュー・シネマ・パラダイスジュゼッペ・トルナトーレ(泣く)
0104 キッズ・リターン北野武
0206 ファースト・カウ/ケリー・ライカート
0207 パフューム/トム・ティクヴァ
0219 夜明けのすべて/三宅唱(泣く)
0220 マディソン群の橋/イーストウッド(好き)
0226 シックス・センスナイト・シャマラン
0228 メッセージ/ドゥニ・ヴィルヌーヴ
0319 ヘカテ/ダニエル・シュミット
0411 瞳をとじてビクトル・エリセ(泣いた)
0416 カラオケ行こ!/山下敦弘
0417 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブヴィム・ヴェンダース(良い)
0501 セトウツミ(ドラマ)/瀬戸なつき/此元和津也(すばらしい)
0502 Shall we ダンス?/周防 正行(好き)
0508 悪は存在しない/濱口竜介
0510 少林寺三十六房/ラウ・カーリョン(修行欲)
0512 浮草/小津安二郎
0519 都会のアリスヴィム・ヴェンダース

【アニメ】

0116 カウボーイビバップ天国の扉/渡辺 信一郎
0131 オッドタクシー/此元和津也
0323 葬送のフリーレン/山田鐘人・アベツカサ(終わっちゃったよ…) 

 

【待っている人】

箱の中のあなた/山川方夫

李良枝全集(ナビ・タリョンまで)

女ぎらい/上野千鶴子

帝国の慰安婦朴裕河

性愛論/上野千鶴子

セクシィ・ギャルの大研究/上野千鶴子

マダム・エドワルダ/バタイユ

 

おひとりさまの老後/上野千鶴子

20世紀イギリス短篇集(上)/小野寺健

雪沼とその周辺/堀江敏幸

友愛のために/モーリス・ブランショ清水徹

イノセント・ワールド/桜井亜美

文学のプログラム/山城むつみ

郊外へ/堀江敏幸

丘に向かってひとは並ぶ/富岡多恵子
ボーイフレンド物語/富岡多恵子
とりかこむ液体/富岡多恵子
結婚記念日/富岡多恵子
回転木馬はとまらない/富岡多恵子
当世凡人伝/富岡多恵子
動物の葬禮/富岡多恵子
兎のさかだち/富岡多恵子

森は知っている/吉田修一
元職員/吉田修一

夜よゆるやかに歩め/大江健三郎

葬儀/ジャン・ジュネ

めくるめく世界/レイナルド・アレナス

フロイトと非ヨーロッパ人/エドワード・W・サイード長原豊訳/鵜飼哲解説

100分de名著 サルトル 実存主義とは何か/海老坂武
嘔吐/ジャン=ポール・サルトル
楢山節考深沢七郎
朱を奪うもの/円地文子
老年期の性/大工原秀子
鍵/谷崎潤一郎
眠れる美女川端康成
眠れる美男/李昂
わりなき恋/岸恵子
私のパリ 私のフランス/岸恵子

世界文学のフロンティア1「旅のはざま」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア2「愛のかたち」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア3「夢のかけら」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア5「私の謎」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

ルート181(映画ガイドブック)/前夜別冊
アメリカ/フランツ・カフカ
審判/フランツ・カフカ
城/フランツ・カフカ
フィッシュ・オン/開高健

20世紀イギリス短篇集(下)/小野寺健

英国の友人/アニータ・ブルックナー

エレホン/サミュエル・バトラー
恋する虜/ジャン・ジュネ
公然たる敵/ジャン・ジュネ

〈えいが〉

枯れ葉/アキ・カウリスマキ

燃えよドラゴン
カンフーパンダ

マルメロの陽光/ビクトル・エリセ

レッツ・ゲット・ロスト/ブルース・ウェーバー

アンリ・カルティエ=ブレッソン/サラ・ムーン

東京画/ヴィム・ヴェンダース

略称 連続射殺魔/足立正生

はなればなれに/ジャン=リュック・ゴダール

エル・スール/ビクトル・エリセ

歌うつぐみがおりました/オタール・イオセリアーニ

ゴースト・ドッグジム・ジャームッシュ

ヤンヤン 夏の想い出/エドワード・ヤン

ピストルオペラ鈴木清順

太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ

Perfect days/ヴィム・ヴェンダース

 

Anselm/ヴィム・ヴェンダース(みたいー)

パリ、テキサスヴィム・ヴェンダース

バルスーズ/ベルトラン・ブリエ

海の上のピアニストジュゼッペ・トルナトーレ

エルスール/ビクトル・エリセ

永遠と1日/テオ・アンゲロプロス

ゴッドファーザーフランシス・フォード・コッポラ

霧の中の風景テオ・アンゲロプロス

あの夏、いちばん静かな海。/北野武

そして船は行く/フェリーニ

 

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結婚式の写真(Family and friends)

ぎゃー。これはおもしろい!英題はfamily and friends(一族と友達)。

この物語は4枚の結婚式の写真の絵解きである。アルバムを見返している今の時間が語るので、時間には奥行きがなく、全ての時制が現在形をとる。禁欲的な文体にはち切れそうなほど詰め込まれたノスタルジーに心が震える。

ジュリアン・バーンズの「太陽を見つめて」や、ヴァージニア・ウルフの「波」を思い出す。憂愁の雰囲気が低音にありながら、知性に裏付けられた明るい毒舌が高音を鳴らす。超越した場所にいながら「そこ」にいる。不思議なルールの心地よい文体。

アニータ・ブルックナーすごいぞ。小野寺健の訳も丁寧で、こちらも訳者つながりで掘っていきたい。秋のホテルはこれからなのだがすごく楽しみ。紹介してくれたジュリアン・バーンズのインタヴューありがとう(YouTubeで見つけた)。

 

その暗くて狭い部屋がベティはすっかり気に入ってしまう。温かく静かで、そのくせ窓をあけはなって外を眺めれば、ぼんやり明かりのともった向かいの菓子店の中が見える。それを見ると、なぜか彼女の心はなごんだ。女たちがケーキを食べている光景を考えると、どこまでもやさしい気持ちになれるのだ。こういう光景こそが女の運命だという気がしたのかもしれない。もっとも、多少の疑問は抱いただろう。ベティ自身の人生計画ははるかに貪欲なものなのだから。猛烈な食欲の光景こそ自然で、心あたたまるものに見えるのかもしれない。あたたかなピンクのライトと、ときどきふわっと漂ってくるヴァニラの匂いに、何かが、何か家族の思い出が、よみがえるのかもしれない。それはどうでもいい。めったにあることではないけれど、さみしい気持ちになったときには通りの向こうに目をやって、上品な女たち、毛皮のコートをきた女たちがつれだってコーヒーを飲みながら話をしている姿を眺めさえすればいいのだ。

(結婚式の写真/アニータ・ブルックナー

 

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12月

ずらり。
12月のグラスはデュラレックスの青でした。これで月にひとつマグカップを集める1年は終わりました。厳選したいから月に1個というルールだったけれど、月イチでも充分にいそぎぎみだと感じました。

みんなかわいくて大事。来年は月いちファッションの1年にします。

今月、また青森へ行っていました。「窓/埋葬」の朗読をするイベントがあったからです。withともさん。あやちゃん。

会場の八戸ブックセンターが実はかなり好きだったので、今回関われて本当に嬉しかったです。おすすめの公共施設なので、お近くの際はぜひ立ち寄ってみてください。となりには、しめ鯖の美味しいイサバのかっちゃの店・らぷらざ亭もありますよ。(貝好きのあやちゃんが叫んでいた)

もうわたしはどこにも行く必要がありません。2023年は、はじめてこう思えた年でした。ありがとう。

思い出せば思い出すほど忘れてくれると思う

横田創の埋葬から窓/埋葬へ、まるっと引用したこの文章の解釈をずっと先送りにしたまま八戸市に来た。

悦子は言う。
〈だけどもし本当に。そのひとにとってそれがとてもおおきなことであるなら。あたしが生きていたことと同じようにあたしが死んだことを受けとめてくれるなら。あたしのことを思い出さない日は一日だってないまま。あたしのことを忘れてくれると思う。植物が日の光に向かって葉をひろげるように。あたしのことを思い出せば思い出すほど。忘れてくれると思う。〉

普段使っている「忘れる」の言葉は、天秤の感触に支えられている。「忘れる」があるなら「思い出す」がある。または「忘れない」がある。家に忘れた自転車の鍵を取りに戻るように、記憶も取り戻すことができると思っている。開けない・開かない古い記憶は、取り戻すことのできない時間まで保管され、やがて消えて、新しい記憶の入る空きになるだろう。

「思い出せば思い出すほど忘れてくれると思うってどういう感覚?」という質問はごもっともだと思う。埋葬の「忘れる」はその文脈から対称を持たないので、普段の意味で使うと急に分からなくなる。
哲学語があるように、これは埋葬語だった。注が必要だと思いつつもしっくりくる言葉を見つけられずにいた。

八戸は極寒だった。乾いた雪が降っていた。夜になると地面がつるつるに凍って危なくなった。1日が終わって寝る前に、神奈川の自宅にいるパートナーに電話をかけた。寒い夜に遠い人に電話をかける。何もかも懐かしかった。
彼は電話で元カノの話をした。長く付き合っていた2人を想像するといつも軽くつらくなるけど、その夜は何も起こらなかった。普通に聞けて、普通に話した。自分の中で忘れるを感じた。

この話を次の日、炙りチーズときのこのパスタセットを食べながら2人にすると、一緒に来ていたトモさんが親のことを話した。最近トモさんのお母さんは亡くなったおばあちゃん(ひいおばあちゃん?)のことをよく話すらしい。生活の中で「おばあちゃんはさ」「おばあちゃんがね」と普通に語るようになった。人が死ぬとラインのような生の時間が切れるイメージを持つけれど、ラインは違う色になって続いていくのかもしれない。とトモさんは言った。わたしたちが誰かについて話すとき、それはほとんどここにいない人についてだ。彼らが死んでいようと生きていようと関係ないまま話せるようになったとき、それは忘れるなのかもしれない。

朗読会を見てくれた方がこう言ってくれた。性的表現がないまま重なり合う悦子とまつりという2人だったから、この渾然一体の世界観を表せたと思う。
わたしはそれに対して、一元的という言葉で説明しようとした。自分が悪口を言うのはいいけど誰かに言われるのはめっちゃ嫌ってぐらい自分になったのが悦子だった。だから舞台が青森になるのは必然だった、だって青森は。というところで涙が出た。

忘れるとは統合されることだった。今年は3回帰省したのもあり(3回分の訳がある)、この1年は青森を忘れる旅になった。地元への突っ掛かりや擁護の気持ちや親も含めて、自分に統合された。自分になった。
原作者が埋葬を書いたのは40歳ごろだという。長く生きれば生きるほど、街や名前は思い出ばかりでつらくなると思っていた。だけど時間は統合の時間でもある。ゆっくり自分の一部に。いや全部になるとき。人は厚くなるどころか一皮剥けるのだと思う。

p.s.
秋に見たアニメ「プルートゥ」を思い出した。ゲジヒトはロボットだから出来事を忘れることができない。失ったことも出会ったことも今起きたこととしてメモリーチップに保存されている。人間の忘れられる能力は素晴らしいよ、忘れられるから人は生きていくことができる。というセリフもあった。出来事がいつまでも自分に統合されない生の地獄っぷり。想像するだけで恐ろしい。

11月

(11月のグラス。ポルトガル産。切り口がいい!)

人生が始まるのは何歳からだろう? 始まる前はひたすら世界は混沌として見えた。アスファルトアスファルトと思えなかったし、人の数だけ固有の世界があることが怖くて新宿が嫌いだった。わたしたち人間じゃない時があったよね。友だちもそう言う。

にんじんはにんじん。世界は世界である。もつれた毛糸玉みたいになっているのはわたしの方だ。ちんまりちんまり、解いては解いて、それだけで人生が終わってしまっても、それが生きることだと思う。固結びが解けたとき、わたしはまた本を読むだろう。誰かに出会うとき、また結び目が解けるだろう。

鎌倉にハイキングに行ったり、来月の朗読会が決まったり、ネトフリでやってる葬送のフリーレンがすごい面白かったり、11月も楽しかったけど、一番覚えてるのがパートナーに怒られたことだった。少し書こう。

わたしの基本姿勢は、誰かに絶対と言わないことである。なぜなら、絶対なんてないから。人は人に何か言うことはできないと思っているので「100ぱー悪い」とか「絶対あっちがいい」とか言ってる人はすごいな、よく言えるなと思う。
例えば電車でうるさい人がいようが、隣の席の貧乏ゆすりがひどかろうがどうでもいい。例えば親しい人がマルチ商法をしようが、やばい奴と会おうがどうでもいい。例えば女友達と仲が悪くなったとしても、両者とも悪くないが単純に組み合わせが悪いと考える。
わたしは電車の車両を変え、カフェ席を移り、やばい友だちから離れる。説得はするが怒ることはしない、なぜなら彼らは悪くないのだから。

一方、パートナーは基本怒る人だ。表現のひとつに怒ることがあるというか。怒るにしても、自信を持って怒るので、暮らして最初は意味不明だった。相手を萎縮させ、平常に話し合いが出来ない状態に持ち込むことは合理的ではないのではと思った。親以外に怒られたことがないので、初めて怒鳴られた時はマジでびっくりした。

彼が怒るときは、わたしが悪いパターンと、わたしの思い出に登場した人が悪いパターンがある。わたしの無意識の怒りを代弁してわたしが怒鳴られることもある。怒られると涙が出るし、なんだよ!と思うけど、他人のことなどどうでもいいと思いながら実は怒っている自分に出会うことができて、素直になる瞬間の方が多い。

彼は言う。みんなバカにされすぎだよ。怒らなすぎだよ。卑屈になりすぎだよ。ヘラヘラしすぎだよ。騙せると思われていることに怒りなよ。
誰かに言うことは怒ることに近いから例を出すと、彼は電車の入り口で仁王立ちする邪魔な人がいたら「邪魔です」と言う。自由に邪魔しているのなら、こちらも自由に邪魔だと言う。ヨーロッパならまだしも日本だぞ。だけど彼にとって場所も相手も関係ない。その純粋さに、わたしは度肝を抜かれ、尊敬する。

彼は自由な人が好きなのだ。だから勝手に不自由になっている人に厳しいんだと思う。卑屈になった心は、いつか自分や他人をあざむきはじめる。そういうモードを怒ることに、自分も他人もないのだと思う。

わたしはこれからも人に怒鳴ることはないだろう。怒鳴ることは自分の役目ではないから。でも怒ることを禁止したり、怒らないことで卑屈になるのはやめようと決めた。
もしこれから親しい人が、ヘンな方向へ行こうとしたらちゃんと止められる。それはだめだって。真意じゃないだろって。自分を騙さないでって。ならわたしはあなたと付き合えないって。言える気がする。

反省文みたいになっちゃった。や、でも明るいよ。
勝手に生きてる人って見てるだけで気持ちいいよね。偉そうな人もプライド高い人も大好きよ。みんな自由に生きてください。じゃあね。

 

ベルリン・天使の詩

ベルリン・天使の詩」を観た。サブスクじゃなくて、パートナーが持っていたDVDで観た。プラケースをパカっとあけて、DVDプレイヤーに乗せて再生すると、ライオンが吠えるオープニングが流れて(メイヤーという配給会社らしい)、幼稚園児だったときの世界を思い出した。あのぶ厚いブラウン管、いつも誰かを待っていた砂壁の部屋で、爪を噛みながらトムとジェリーを観ていたこととか。

 

「子供は子供だった頃……」からはじまる詩の朗読が、この映画の全てだ。壁が崩壊する前のベルリンの、メトロの中を、図書館を、サーカステントの中を、歩くスピードで眺めながら、ペーター・ハントケの詩を聞く。

子供は子供だった頃
腕をブラブラさせ
小川は川になれ 川は河になれ
水たまりは海になれ と思った
子供は子供だった頃
自分が子供とは知らず
すべてに魂があり 魂はひとつと思った
子供は子供だった頃
なにも考えず 癖もなにもなく
あぐらをかいたり とびはねたり
小さな頭に 大きなつむじ
カメラを向けても 知らぬ顔

(ペーター・ハントケ幼年時代の歌」

天使は天使である限り、人間に触ることも、話しかけることもできない。唯一できることは、ただそばにいることだけだ。無言の声を聞きつけ、天使が人間に寄り添うとき、人間は自分の内なる天使を思い出す。じっと隣にいるだけの天使の救済は、例えば鉢植えを日陰から日なたへ動かすとかに似ている。光の方へ動かして、あとは何もできない。

子供は天使なのだ。
カメラに向かって子供がはにかむのを、わたしも何度も現実で経験したことがある。自分を子供とは知らない子供は、大人に向かってよく笑いかける。まるで自分をもうひとり見つけたような無邪気さで。(子供が大人になるとき、それは人に笑いかけられなくなったときなのかもしれない。)
そういう天使時代の世界の輝きは、歳をとっても胸の奥にある。もう天使のように人の全てを知ることはできないけれど、なぜか誰かを予感することができるし、わたしではない他人が痛むと同じように悲しい。

 

ほんとうにいい映画だった。

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