遠浅

平野明

ベルリン・天使の詩

ベルリン・天使の詩」を観た。サブスクじゃなくて、パートナーが持っていたDVDで観た。プラケースをパカっとあけて、DVDプレイヤーに乗せて再生すると、ライオンが吠えるオープニングが流れて(メイヤーという配給会社らしい)、幼稚園児だったときの世界を思い出した。あのぶ厚いブラウン管、いつも誰かを待っていた砂壁の部屋で、爪を噛みながらトムとジェリーを観ていたこととか。

 

「子供は子供だった頃……」からはじまる詩の朗読が、この映画の全てだ。壁が崩壊する前のベルリンの、メトロの中を、図書館を、サーカステントの中を、歩くスピードで眺めながら、ペーター・ハントケの詩を聞く。

子供は子供だった頃
腕をブラブラさせ
小川は川になれ 川は河になれ
水たまりは海になれ と思った
子供は子供だった頃
自分が子供とは知らず
すべてに魂があり 魂はひとつと思った
子供は子供だった頃
なにも考えず 癖もなにもなく
あぐらをかいたり とびはねたり
小さな頭に 大きなつむじ
カメラを向けても 知らぬ顔

(ペーター・ハントケ幼年時代の歌」

天使は天使である限り、人間に触ることも、話しかけることもできない。唯一できることは、ただそばにいることだけだ。無言の声を聞きつけ、天使が人間に寄り添うとき、人間は自分の内なる天使を思い出す。じっと隣にいるだけの天使の救済は、例えば鉢植えを日陰から日なたへ動かすとかに似ている。光の方へ動かして、あとは何もできない。

子供は天使なのだ。
カメラに向かって子供がはにかむのを、わたしも何度も現実で経験したことがある。自分を子供とは知らない子供は、大人に向かってよく笑いかける。まるで自分をもうひとり見つけたような無邪気さで。(子供が大人になるとき、それは人に笑いかけられなくなったときなのかもしれない。)
そういう天使時代の世界の輝きは、歳をとっても胸の奥にある。もう天使のように人の全てを知ることはできないけれど、なぜか誰かを予感することができるし、わたしではない他人が痛むと同じように悲しい。

 

ほんとうにいい映画だった。

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