遠浅

平野明

思い出せば思い出すほど忘れてくれると思う

横田創の埋葬から窓/埋葬へ、まるっと引用したこの文章の解釈をずっと先送りにしたまま八戸市に来た。

悦子は言う。
〈だけどもし本当に。そのひとにとってそれがとてもおおきなことであるなら。あたしが生きていたことと同じようにあたしが死んだことを受けとめてくれるなら。あたしのことを思い出さない日は一日だってないまま。あたしのことを忘れてくれると思う。植物が日の光に向かって葉をひろげるように。あたしのことを思い出せば思い出すほど。忘れてくれると思う。〉

普段使っている「忘れる」の言葉は、天秤の感触に支えられている。「忘れる」があるなら「思い出す」がある。または「忘れない」がある。家に忘れた自転車の鍵を取りに戻るように、記憶も取り戻すことができると思っている。開けない・開かない古い記憶は、取り戻すことのできない時間まで保管され、やがて消えて、新しい記憶の入る空きになるだろう。

「思い出せば思い出すほど忘れてくれると思うってどういう感覚?」という質問はごもっともだと思う。埋葬の「忘れる」はその文脈から対称を持たないので、普段の意味で使うと急に分からなくなる。
哲学語があるように、これは埋葬語だった。注が必要だと思いつつもしっくりくる言葉を見つけられずにいた。

八戸は極寒だった。乾いた雪が降っていた。夜になると地面がつるつるに凍って危なくなった。1日が終わって寝る前に、神奈川の自宅にいるパートナーに電話をかけた。寒い夜に遠い人に電話をかける。何もかも懐かしかった。
彼は電話で元カノの話をした。長く付き合っていた2人を想像するといつも軽くつらくなるけど、その夜は何も起こらなかった。普通に聞けて、普通に話した。自分の中で忘れるを感じた。

この話を次の日、炙りチーズときのこのパスタセットを食べながら2人にすると、一緒に来ていたトモさんが親のことを話した。最近トモさんのお母さんは亡くなったおばあちゃん(ひいおばあちゃん?)のことをよく話すらしい。生活の中で「おばあちゃんはさ」「おばあちゃんがね」と普通に語るようになった。人が死ぬとラインのような生の時間が切れるイメージを持つけれど、ラインは違う色になって続いていくのかもしれない。とトモさんは言った。わたしたちが誰かについて話すとき、それはほとんどここにいない人についてだ。彼らが死んでいようと生きていようと関係ないまま話せるようになったとき、それは忘れるなのかもしれない。

朗読会を見てくれた方がこう言ってくれた。性的表現がないまま重なり合う悦子とまつりという2人だったから、この渾然一体の世界観を表せたと思う。
わたしはそれに対して、一元的という言葉で説明しようとした。自分が悪口を言うのはいいけど誰かに言われるのはめっちゃ嫌ってぐらい自分になったのが悦子だった。だから舞台が青森になるのは必然だった、だって青森は。というところで涙が出た。

忘れるとは統合されることだった。今年は3回帰省したのもあり(3回分の訳がある)、この1年は青森を忘れる旅になった。地元への突っ掛かりや擁護の気持ちや親も含めて、自分に統合された。自分になった。
原作者が埋葬を書いたのは40歳ごろだという。長く生きれば生きるほど、街や名前は思い出ばかりでつらくなると思っていた。だけど時間は統合の時間でもある。ゆっくり自分の一部に。いや全部になるとき。人は厚くなるどころか一皮剥けるのだと思う。

p.s.
秋に見たアニメ「プルートゥ」を思い出した。ゲジヒトはロボットだから出来事を忘れることができない。失ったことも出会ったことも今起きたこととしてメモリーチップに保存されている。人間の忘れられる能力は素晴らしいよ、忘れられるから人は生きていくことができる。というセリフもあった。出来事がいつまでも自分に統合されない生の地獄っぷり。想像するだけで恐ろしい。