遠浅

平野明

Sayonara(Zatto/小袋成彬)

小袋成彬のニューアルバム「Zatto」の中にSayonaraという曲があった。ひとりで聴いていたら身震いするほど感動してしまった。Sayonara、この言葉には個人的な思い入れがある。
フランス人作家にジャン・ジュネというひとがいた。中年になって大失恋したジュネは知り合いのすすめでアジアへ旅行に行くことになる。ジュネの乗った飛行機が日本の夜空に差し掛かり、着陸態勢にはいるころ、その言葉はジュネの前に現れる。この短いエピソードを曲のなかで思い出した。

“着陸の少し前、一人のスチュワーデスが挨拶を二言三言、英語とドイツ語で述べ、その後でこう言ったのだった。Sayonara。この声の明るい響き、私の待望久しい奇妙な音質、子音に辛うじて支えられた澄み切った母音、要するにこの言葉、まだ経線の西側にいる飛行機が今にもそこから離れ去ろうとしているこの夜の中のこの言葉が、おそらく、ひとが予感と呼ぶとても斬新なみずみずしさの印象を、私のなかに呼び起こしたのだった。” p70,恋する虜/ジャン・ジュネ鵜飼哲・海老坂武訳

ジュネのきいたSayonaraはこんな声ではなかったか。こすられすぎて誰にも振り向かれなくなった言葉のあたらしい響きをわたしは小袋成彬の声にみた。彼のやってるフィリップサイドプラネットという音楽ラジオの働きもそうで、ジャズの合間に古い日本の歌謡曲が選曲されると、たちまちそれが地味深くてチャーミングなあたらしい曲にきこえてくる。いま・どんな状況のなかで・なにと一緒に選ぶのか。クラブだったら曲を、作家だったら言葉をDJする。その運動のことをアーティストと呼ぼう。

大充実の小袋成彬「Zatto」。おすすめです。

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p.s.アルバムのライナーノーツも買ってよかった。アルバムと同タイトルの曲のページには「ダンスミュージックのアルバムを作りたかったけれど、作れなかった。」という言葉があった。明るくなれないことへの素直さに触れてほっとした。心に入り込む世界の気分を無視することは、去年は、おととしは、ちょっと難しすぎた。