遠浅

平野明

富岡多恵子の小説(私的)ベスト10

富岡多恵子の小説を86本*1読んだ。ベスト10をあらすじと共に紹介する。

 

ワンダーランド

 数年前ミノとルイは一緒の部屋で寝起きするルームメイトだった。サクランボみたいといわれる程の仲良しで、いつも半分ホントの悪口をたたき、埒もないことで笑い転げていた。顔の美しいミノはスカウトされて青春映画のスターになったが、そのうわさもいまでは聞かなくなった。ミノはスターのくせに、自分の陰りをひとに見せてしまうところがあった。
 ルイはフリーの裏方として仕事をとれるようになっていた。松原美々子さんという理想の女性とも近づけるようになった。美々子さんは家庭があるひとで、一般にはかわいそうなひとではないのにルイにはかわいそうに見えた。
 ルイのアパートに珍しくミノが来て、浮世稼業はやめるといい出した。ルイはミノが自分の不安をマジメに喋っているのをうとましく感じた。ルイの働く芝居小屋や舞台裏ではマジメに喋るひとはだれもいなかった。ルイはミノに加虐的な気持ちになって、ミネとフーちゃんを電話で呼びつけた。昔のミノとルイのようなふざけ方をするふたりが家に来ると、ミノも昔の調子に戻ったようだった。ルイは人妻の美々子さんをここに呼ぼうと思ったが、なぜか呼べなかった。

ふたつのくっついたサクランボは、よく似た格好をしている。だらしなく胸のボタンを上から三ツはずしている。首にぶらさげた、小さなハートと十字架のペンダント。ぴったりからだについたズボン。フーちゃんは金属製の腕輪をしている。ミネは三ツも指輪をしている。ふたりとも、両方の耳たぶに穴をあけて金の小さな耳飾りを埋めこんでいる。

 

中央公園


 ニューヨークに来て3ヶ月になる。わたしはビッグをセントラル・パークの散歩へ誘った。ビックは日本人であるが、本名が勝利という名前だから、ヴィックになり、ビックになった。ニューヨークには10年近くいて、わたしとケイの住む建物の下の階に夫婦で住んでいる。
 寄るところがあるといって、ビックは門番のいる上流階級のアパートにいった。それからロフト(倉庫)の2階にいった。ロフトには20人ぐらいの男女がいた。椅子の上に立って喋っている男はハプニングのプランナーで、今度の水曜にセントラル・パークの森で、毛布でくるまれた人を木につるすハプニングを計画しているのだという。
 ビックと逢引しているのを知らないのは奥さんのヤヨイさんだけである。ヤヨイさんは4人の中でひとりだけフルタイムで働いていた。ビックはヤヨイさんのビザでここにいられる美術家で、ケイは奨学金を財団からもらっている彫刻家で、わたしはケイの妻という理由でアメリカに来ていた。この3人にはすることがなかった。家事も仕事もしていたヤヨイさんが爆発したのは、ヤヨイさんの30歳の誕生日のときだった。そのときわたしはビックと浴室の中にいた。
 セントラル・パークに着いた。しばらく歩いて家に帰った。わたしはビックに一種の友情を感じた。
 冬がきて、春になった。よく散歩するワシントン・スクエアのベンチで、中年の夫婦づれに話しかけられた。ゆっくりしゃべるので言葉がわかった。紙きれに住所と電話番号を書いてくれて、ぜひ日曜に遊びにこいと誘ってくれた。
 夫婦のアパートメントは中央公園の近くにあった。25階にあるちいさくて清潔な部屋だった。夕食でもてなしてくれて、友だちになった記念にと美しい画集をくれた。子どもの絵と子どもの詩が載っていて、それはアウシュビッツのキャンプにいた子どもたちの絵だと妻のアンナがいった。旦那のダニエルの腕には4つの数字のイレズミがあった。
 ビックが多額の賞金をもらうというニュースが入った。ヤヨイさんはことのほか嬉しそうだった。ケイも知り合いが増えて楽しそうに行き来していた。
 日曜日の午後、ひとりで中央公園へ行った。賑やかなパレードがあり、自転車の群が通り過ぎた。わたしはダニエルとアンナに電話をかけた。ふたりはすぐに来てくれた。3人は日本料理屋に入った。夜はエンパイアステート・ビルディングにのぼった。エレベーターはかなりのスピードで上昇した。顔をしかめると、ダニエルはわたしの手を握りしめ、アンナは大丈夫ですよ、とにっこり笑ってくれた。

窓にかかっている手づくりらしい、安物の白っぽいカーテンの外の世界、十セント・ストアで日常品や衣類を買う貧乏人のいる世界とも、地下鉄に乗ったこともない金持のいる世界とも、まったく別の、静かな、ちいさな部屋の中で、かれらふたりだけの時はいったいどこの言葉で話しているのだろう。

A子のカラス

 中学を卒業したA子は給料の高さからキャバレー「処女学校」に勤め始めた。土地成金の息子、零細企業の若いサラリーマンがA子のファンになった。A子はそのどちらにもいい顔をし、手紙を書き、ふたりからダイヤの指輪をもらった。男たちに嘘がバレたとき、ここは嘘ついてお金もらう場所だとA子はいい放った。

 

犬が見る景色


 親戚の寿栄がチズ子の東京の家を訪ねてきた。会うのは7年ぶりなのにチーちゃんと気安く呼び、チズ子の夫には世間話もしない。寿栄はいま勤めている旅館の娘と結婚するかもしれないとチズ子に話して帰っていった。チズ子は寿栄が感覚的に薄気味悪い。
 昔、寿栄は大阪のチズ子の実家によく来ていた。和歌山に住む寿栄が大阪の医学部を受験するときに泊まっていったのが始まりだった。寿栄は受験に落ちて東京の私大へいったが、帰省のたびに泊まっていった。寿栄は仮面浪人して医大に入った。
 ある年、大学生の寿栄は高校生のチズ子を信州へスキーに誘った。寿栄の友だちもいると聞いていたが、着いてみたら友だちはいなかった。また、大阪の産業見本市にチズ子を連れていったこともあった。寿栄は高校生のチズ子に分娩台を解説した。帰りに食べた玉子ドンブリをタマドンと呼んだ。チズ子はこの不快さをことばに出来なかった。寿栄は今年卒業という年にチズ子の実家にやってきて、医者にはなれなくなったといった。無免許で手術をし、その患者が死んだらしかった。寿栄とはそれきりだった。
 それからひと月経った。チズ子がひとりで家にいるとき寿栄が訪ねてきた。旅館の娘とは結婚できなくなり、だれかと結婚するために家を買ったと寿栄はいった。
 チズ子は寿栄を送るために家を出た。バス停のそばのタバコ屋の前におなかの大きい犬がいた。寿栄は仔犬の頭だけが並んでいたらどうするといった。チズ子はひとりでバスに乗った。隣に座ったおじさんが眠ったふりをして執拗に頭を押し付けてきた。夫が家に帰ってきた。寿栄の訪問とバスの出来事をチズ子は話そうとしたがことばが出てこず、ナミダばかりが湧いて出てきた。

二部屋しかない自分の棲家をチズ子は見まわす。なにもかも向う側へ倒れていく。みんな向う側へ倒れて消えていく。まるで映画のセットのように向う側はなんにもなく、ただ簡単なつっかい棒がしてあるだけのように、パタパタと、部屋の壁も窓も戸も押入れも、それに家財道具まで向う側へ倒れて消えていく。そして向う側は、となりの家ではない。なんにもない空間だ。暗闇ではなく、空か水か判別しがたいような明るい空間だ。

丘に向ってひとは並ぶ


 大きな川のそばに小さな村があった。そこへどこかから男がやってきた。男は麻袋を洗って乾かす商いを始めた。男は川の上流の製麻工場の女をヨメにした。川向こうの軍艦町へ行くより良いだろうと女は思った。軍艦町は女郎街だった。
 男のツネやんと女のおタネさんに、2男4女の子どもができた。男はアホとバクチ打ち。女は上から気ちがい、マトモ、オシ、病弱だった。男子2人は家の金を持って軍艦島へ行くようになり、ツネやんは四貫島というところに女を囲って、伝法村の家にはたまにしか帰ってこない。長女は近所の男のタダの遊び相手になって次々に子どもを産む。家は抵当に入れられてしまう。唯一商売のできる次男のトラやんは家出する。児ォばっかし産ましやがってとつぶやいていたおタネさんも血を吐いて死んでしまった。
 台風が来て大きな川が氾濫した。伝法町からは死人が出たがこの家族は生き残った。しかしクニの戦争が始まった。ツネやんは病死し、長女とその5人の子どもは死に、長男とそのヨメはんも死んだ。トラやんと妻のコトエが住んでいた家も壊された。戦争が終わると、トラやんは闇市の女を囲って、妻と3人の子どものいる家には帰らなくなった。トラやんは病気で死んだ。生前トラやんは自殺しかけたと娘にいっていた。そのことばは信じられる気がする。

男は商いの上手になるよりも、その工夫をするよりも、自分に暇の残らぬように働いているのだった。もし暇が残ったら、その暇は男をねじふせて首をしめるかもしれないのだった。川の水と、川のへりにまばらに並ぶ家と、葦の茂みと、空しか男には見えなかった。もし一日でも暇が残ったら、男はその他のものを見なければならないのであった。もし、一日に少しでも暇が残ったら、男は音を聴かねばならなかった。もし男が暇をつくったら、その暇の内部で、男はその暇の内容に殺されるかもしれなかった。男の恐怖はそういうものであった。

名前


 38歳の高校教師の恵には、3歳年下の美子という妻がいる。子どもはいない。美子には話していないが、恵は結婚前に避妊手術をしていた。親族に自殺者や精神病者がいたからである。でも結婚しないで生きようとは思わなかった。美子は子どもを欲しがっていた。
 いつか海外旅行に行きたいからと、美子が英会話教室に通い始めた。恵が仕事から帰ると楽しそうに覚えたことばを報告する。先生も優秀だという。英会話教室に半年ほど通ったころ、美子は子どもができたと恵にいった。あれほど欲しがっていた子どもなのに美子は嬉しそうに報告しなかった。昨年の暮れ、会話教室のクリスマス・パーティーに美子が珍しくドレスアップして出かけていったのを恵は思い出した。美子は病院にいって子どもを堕した。
 美子は会話教室へ通わなくなった。恵の春休みに、予定通りロンドンとパリのツアー旅行に行くことにした。明日から春休みという日、恵は商店街で犬を売っているのに出くわした。恵は生後2ヶ月の仔犬を2匹買った。この犬に名前をつけてやらねばならないと思った。

美子とふたりで暮らすことだけを考えてやってきた。自分を終らせ、葬り去るのに、結局美子を道づれにしているのだという気持が、あの大事件のあとさらにはっきりと恵には感じられるようになった。

 

魚の骨


 父親が仕事に行くのをやめた。休日のような顔で毎日家にいて、食事の時だけ部屋から出てくるようになった。家はたちまち困窮した。母親は保険会社で働き、高校に入ったばかりの英次と中学生の弟も働いた。下にもうひとり妹がいた。
 英次は家の台所からベニヤ板をつぎたして、家の敷地内に三畳の小屋を作った。寝台を作り、机と本棚を運び込んで自分の城とした。父親と顔を合わせないようにひとりで食事をして、大学の受験勉強もそこでした。父親がジンゾーの病気になってからは家はますます困窮した。弟は高校を退学し住み込みにはいった。中学生の妹は高校にいかないといった。母親は仕事と家事と、病人の面倒で疲れ切っていた。
 英次は優秀な国立大学の文学部に入学した。1日の休みもなく家庭教師の仕事をして、学費も衣類も全部自分の稼ぎでまかなった。だけど服を繕ったり部屋のストーブ代を払うのは母親だった。英次はぎりぎりの生活費の中から週に1回ピアノを習い始めた。その上、通っている教会で知り合った人とでイクススという文芸誌も作っていた。イクススは魚という意味で、魚の骨の中には十字架の形がかくされていた。
 英次は自分の小屋で理想の西洋風の生活をしていた。英語の本に取り囲まれ、ベッドで眠り、椅子で生活した。ピアノも習っていた。むこうの家では母親や妹が大豆を炊いて食べる生活をしていた。教会で知り合った同じ大学の女が、どうして三味線や日本舞踊を習っているのかわからなかった。
 英次の就職が決まった頃、父親が蒸発した。小屋にこもると母親の泣きじゃくる声と、妹の大声が家の方から聞こえた。英次は文芸誌のカット絵を描いていた。魚の骨は十字に描いた。

お母ちゃんは豆ばっかり煮ている、という妹の言葉が、英治の耳から離れなかった。大豆を水につけておいてね、それにコンニャクやニンジン入れてね、煮るのよ、安いし栄養あるしね、おなかふくれるしね、と昨夜妹はあの台所でいったのだった。その豆を、父親にも食わせているのだ、と英治は思った。

 

箱根


 夫の良吉に一方的に離婚を告げられて、教子はひとりになった。良吉は身ひとつで家を出たが、私物を取りにたびたび家にやってくる。こまごましたものも根こそぎ持っていかれて、部屋にはなんにも無くなってしまった。
 意を決して箱根に近いアパートに引っ越した。しかし住所を聞きつけた良吉の知り合いがやってきて、なかなか教子はひとりになれなかった。
 良吉の友だちで、妻の出産のためにアメリカから帰国したという島屋という男が家を訪ねてきた。箱根へ行こう、富士山を見ようと、冗談混じりの本気の話を、良吉を挟まずにこのひととはできた。夜、島屋に電話で呼び出された。教子はその寿司屋に駆け込んだ。入ると良吉とその妻が座っていた。

教子は手を振りあげて良吉を追いかける。テーブルのまわりを、教子と良吉が追いかけっこをする。「こういうのは見てるより仕様がないねえ」と台所のだれかが笑い、酒のビンをまわして、観客は飲んでいる。テーブルのまわりを、教子は真剣に良吉を追い、良吉は真剣に逃げる。教子は立止まり、逆にまわり、ふいに良吉をつかまえようと身構えると、良吉は素早く逆に身をかわす。教子の顔は青ざめていくのに、良吉は遊戯をする子供のように紅潮して、笑っている。教子の叫びは、良吉にも観客にも聞えない。真空の中で、大声をあげて、走っているような感じが教子にはしている。良吉は逃げた。良吉は、観客の方へ逃げた。良吉は観客と笑いさざめきながら乾杯していた。

 

黒野


 戦後、広田一家は岩手県のK開拓部落に移ってきた。息子の米雄は畑仕事が嫌いで両親の開墾を手伝わず、ただ家で寝そべっている。米雄はS町へ出稼ぎに出ていった1年後、桃代という女を連れて帰ってきた。ふたりは入籍、男と女の子どもを持った。依然として米雄は働かず、桃代も働かないため、両親が息子一家の面倒を見なければならない。米雄は村の機械や米を盗んでは金にして、村を歩けなくなると父母の育てた米や牛を売る。
 限界になった両親は家を出ていった。桃代も子どもを残して実家へ帰ってしまった。家はたちまち荒れ始め、火の気のない部屋にふたりの子どもの糞尿の匂いがこもっていく。外出ついでに東京での出稼ぎの話を得た米雄は家へ帰らずそのまま上京した。三鷹で働いて1週間、自分のことが捜索されているのを知り、新宿や上野をぶらぶらした後に帰郷した。包丁を買って両親のいる家へ行き、父母を刺し殺した。

 

女道楽


 昭和のはじめの頃、大阪に桜家春駒なる「女道楽」がいた。女道楽とは、三味線を伴奏に、端唄、小唄、義太夫などの音曲をまぜて面白く演ずる女芸人のことである。39歳のとき、春駒はお抱えの車夫(=人力車を引く男)と一緒に大阪からいなくなった。ふたりはただの登勢と文治となって、東京の素人の世界で生活していた。カケオチしたのではなく、春駒は女道楽「春駒」を捨てたのだった。

 「もう、いわない」と登勢はうつ伏せたままでいった。登勢は、生まれてはじめて男を信じた。登勢は、しばらく目を閉じたままで、じっとしていた。もう涙は出なかった。しかし、自分のからだの奥で嗚咽が響いているように思えた。それが、男への信頼と感謝だとはっきりわからなかった。登勢はまだ、文治の固い脚につかまっていた。

*1:富岡多恵子の小説が何本あるかは諸説ありそう。例えば「湖の南」は小説なのか評伝なのか判断がむずかしい。アトガキでは小説として書いたとあるけれど、86のうちに入れなかった。