バイトの日。終わっても、なんだか気持ちが上向かなくてぼーっとしていた。
昼にU-NEXTで日経womanを読んだ。おもしろかった。夜、キッチンの本棚でふと手に取ったブランショの文章も、おもしろかった。どちらも言葉の魔法がしっかりかかっていた。不思議だ、どちらも同じ言語の並びなのに、全然違うもののように感じた。
わたしはやっぱり日記は嫌だ。苦手だ。ということを日記の中で書いてしまう時点でもうダメだ。日記のことを手段として見てしまう。目的にできない。それができる日記のプロもいるけれど、ただ手を動かすように、ただ日記を書くことができない。言葉の魔法がかかった、それだけで胆力のある日記を書くこともできるかもしれないけれど、それをやるわたしは嘘だ。言葉の魔法を日記にかけるのはわたしの中で恥ずかしいことなのだ。日経womanやブランショを読んだとき、これが好きだと思った。わたしの言葉の活動は、生身の自分から離れた場所にいなければいけない。
以上が、日記を毎日書いてみた所感である。わたしの日記はすばらしくない。プライヴェートがはみ出したインスタのストーリーみたいな雑記を、だけど毎日開いてくれる人もいるのだから、内容どうこういうよりむしろ、ある人間が日記を書いてUPしていること自体には、少しは意味があるのかもしれない。